すべて与えられてる
(聖ユスティノ殉教者の記念日)
第一朗読 ペトロの手紙2、1・3-7
主イエスは、御自分の持つ神の力によって、 命と信心とにかかわる すべてのものを、 わたしたちに与えてくださいました。
から始まり、最後に怒涛のように来る言葉↓
だから、あなたがたは、 力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、 知識には自制を、自制には忍耐を、 忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、 兄弟愛には愛を加えなさい。
に圧倒されながら、 すべて与えられているけれども、それだけじゃダメなんだ、 力を尽くすことを求められている… と考えさせられます。
続けて福音 マルコ12・1-12 (ぶどう園と農夫のたとえ)を読むと、 このぶどう園、垣を巡らせ、搾り場を掘り、 見張りのやぐらを立て、、すべて用意されて与えられている。
だけど、この農夫たち 収穫 はあったんだろうか? と、ふと思った。 豊かな収穫があったのなら、跡取りを殺して 相続財産を手に入れようとか するものなんだろうか どうなんでしょうね。
すべて与えられている。 だからそれを受けて、受けていることに気付いて、 ひとつ ひとつと積み上げて、 成長させて、実りを希望したい。 豊かな収穫を返せるように、 力を尽くして。
でも最後に 愛 を加えてくださるのは あなた なんじゃないか、と思うんですケドね…
