どうしてそうなるのか しらない。

2021年06月15日

今週の主日の福音マルコ5・26~ 成長する種のたとえ でした。

うちの修道院には畑と言えるほどのものはないですが、                                  お庭で修練期の頃、少し野菜とかを育てたりしていました。                                種を蒔いて育てるなんて、小学校のアサガオ日記以来?

土をスコップでやわらかくして、石とかを取り除いたり                                      鋤で畝をつくるのを教えてもらったり、とてもおもしろかったなぁ。                              土の匂いとか、ね。

それである朝、今まで何もなかった土から、                                        みどりの芽が いっせいに立ち上がっているのをみたときの嬉しさね!                               感動っていうのか、なんか舞い上がっちゃって、                                    誰彼構わず「見て、みて!」って言いたい気分でした(笑)

でもこれきっと自分が蒔いたから、嬉しいんだろうな、と。                                  だって言われたほうも、わあすごいね。くらいしか言えないじゃない?

そんなふうに考えながら(前置きが長いでしたが )この聖書の箇所を読んでみたりすると、                     この種が芽を出して成長する のを見て、                                         いちばん喜んでいるのは 誰なんだろうな、と。

「どうして」の理由をただひとり、知っておられる そんなかたが、                             それでも、芽を出すのを 成長するのを、                                      いつも見て、待っておられるのかな…

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