St. Paul of the Cross

創立者  十字架の聖パウロ


十字架の聖パウロ年譜

1694年(1月3日) イタリアのオヴァダにて誕生

1715年 内的な促し

1720年 40日の黙想 会憲をしたためる

1727年 ローマにて司祭叙階

1737年 最初の御受難会修道院建設

1741年 教皇ベネディクト14世による会憲の認可

1771年 御受難修道女会 創立

1775年(10月18日)ローマで帰天

1867年 列聖

「私のすべての希望は聖母の御悲しみと         キリストの御受難のうちにあります」

十字架の聖パウロは、新しい さわやかな方法で イエスの福音を 読み、これを解釈する特別の恵みを神から受けた。      この新しい「福音のヴィジョン」は、              彼の生涯と仕事に一致と方向付けをもたらし、         教会の霊的指導者の一人としての地位を与えるに至った。   彼の全生涯は その若い魂を魅了したこのヴィジョンを、    具体的な生活様式のうちに受肉化させるための        絶え間ない試みだったと言えるであろう。

十字架の聖パウロは、初期の伝記作家たちが         それとなく ほのめかしているような             生まれつきの聖人ではなかった。              神の心からの招きに対して長い人生をかけてすなおに応え、  多くの困難な働きと 多くの激しい内的葛藤を経てはじめて、  神のみに生きるため、キリストと共に死ぬことが       できたのである。

彼の人生には根本的な新しい方向を与えるような、      目を見はるような回心の跡は見られない。           十字架の聖パウロの生涯は、ゆるやかではあるが          長年にわたっての困難な巡礼にもっともよく見ることができる。そこでは 彼に刻印された神の心づかいが           その生涯と仕事の中でより明らかに              見えるものとなっているからである。

では、彼の生涯にそれほどまでの決定的な方向付けを      与えるに至った、彼に与えられた独自の洞察とは         なんであったのか?十字架の聖パウロの初期の仲間、     聖ヴィンチェンツォ・ストランビは              十字架の聖パウロのヴィジョンの中心には           イエスの受難の深い理解があったことに気づいた。       「私が知りたいとのぞんでいるすべてのことと言えば、    それは、キリスト、しかも十字架につけられたキリストを   知ることである」という使徒聖パウロの言葉を            独自の仕方でとらえ、理解する特権が              与えられたということである。

十字架の聖パウロの生涯は、                 この使徒のことばが彼の心に刻まれていたという証であった。 さらに正確に言うなら、神が愛のうちに、            自らそこに刻まれた証と言えるであろう。

彼には 自分の生涯を十字架につけられた             イエスの生涯に一致させ、信者の中に               あがない主の十字架と死への生ける記憶を新たにしたい         という熱烈な望みが常にあった。              これこそ彼のあらゆる活動、                  その数え尽くすことのできない旅と説教の目標だったのである。十字架の聖パウロは キリスト・イエス、           しかも十字架につけられたイエスのほかに          何ものも知ることを望まないと誓言するほどであった。    こうしてこのイエスを愛し、このイエスに仕えたのであった。


        《神のみこころの中で 十字架の聖パウロの霊的教え》より


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