差し伸べる手

2020年11月15日

今日の福音 マタイ25・14-30、タラントンのたとえ でしたね。              神父さまのお話しから、

神さまから与えられたもの、預かった大切な宝物を自分のためでなく、他の人の必要のために。 もうけ=どれだけ手放したか? どれだけ与えたか?                    神の愛が支配する新しい世界ーひとりひとりの働きによって、だんだん完成する。

とてもポピュラーな箇所だけど、そういう生き方ができているか、              問い直す大事なところだなー、、と思いながらミサは進んで行き、              聞こえてきた言葉にちょっと驚きました。奉納祈願の最初、

『神よ、ひとり子イエス・キリストこそ、あなたから頂いた最もすばらしい恵みです。ー』

自分の才能、能力、時間とか 良く使うこと、与えること確かに大切だけど、         これを聞いたとき、特に私たちにとって一番大事なところなんじゃないか、と思いました。   イエズスを与えること(ってどんなことだろう)できているだろうか?            イエズスを埋めてしまっていないか?

今日は「貧しい人のための世界祈願日」でもありました。                  第一朗読 箴言31・10~                                手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる                         貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる                       

教皇フランシスコは、差し伸べる手 には日々の訓練が必要。はと言われます。        その始まりは、差し出される手を 自分がどれだけ必要としているか、を自覚すること、と。

私が与えようと思うより前に、どんなにたくさんの手が伸ばされているだろう、        それが無くて、どうやって生きてゆけるだろう?                      主人と一緒に喜んでくれ、というイエズスの想いをうけて、                 感謝とともに、私も差し伸べる手のひとつとなることに喜びを見出していけますように。

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