四旬節のはじまりに

あなたたちは聖なる者となりなさい。 あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。
ちょっと前に読まれた、ミサの第一朗読 レビ記の冒頭ですが なにも考えるまでもなく、無理やわ… となり、 ちらりと自分を鑑みれば、もう落ち込むしかない そんな強烈な言葉ですが、 ちょっと落ち着いて考えてみたい。 聖なる者、、「聖なる」て なんなんだろう。 神さまは、ご自分のなにを「聖なる」と言っているんだろう 私たちを、どこに招きたいんだろう。
四旬節の始まる直前くらいに、映画をみました。 映画感想はだいぶ久しぶりですね~ 『ショコラ』という映画です。
ほとんど内容は知らないで見たのですが まさに今の季節ドンピシャな映画で(いまどきドンピシャとか通じるんだろうか; ちょっとびっくりしました。
小さな閉鎖的な村に、よそから来た母娘が チョコレートのお店を開き・・・ というところから始まります。 それがちょうど四旬節の始まる日なんですね。 特にキリスト教的な映画では、全然ない と思います。 ただそのストーリーの舞台、土台として なければならない感じかな、と。
でも、とても良かったです。 なんだろ、すごく熱心な、ホーリーなかたとかには あんまり良く思われなさそうかなぁ、 べつに四旬節の断食も節制も、否定しているわけじゃないけれど
そこに 人を傷つけたり、排除したり そういうことをしなければならないなら、 それは 何なのか? と思う。 最後のね、若い神父さんの言葉に じん ときます。
四旬節 というときが、 ただ何かをしなければだめ とか、何かをしてはだめなとき と なってしまうなら、 ただの期間になってしまうんじゃないかな。 終われば、もうそれまで。というような
いつだったか忘れてしまったけれど、 最近のミサで神父さまが言われた 「四旬節ー忍耐は、主に出会うことを待つとき」 という言葉が心にのこっています。