We Are The World
シナピスのニュースレターを見ていてみつけたんですけど、 今年の9月26日「世界難民移住移動者の日」に祈りをささげるために、 「つなぐうた~We are the world~」という歌が紹介されていました。
これ、あのマイケル・ジャクソンのWe are the world なんですね! それを日本語訳したものらしいのですが、 歌詞を考えた方達、本当に今 必要とされている言葉は…と心をこめて作られていて、 とても良い歌詞になっています。 ギュっときます。
どこで聞いたか忘れてしまったけど、歌ってこういうことなんだ、と。 そういう想いを抱えている人がいる、自分だけではないんだ と だからみんなで歌うことに意味があるし、祈りにもなるんだって思うのです。
今日の福音ルカ9・30-37でしたが、今日の聖書と典礼の最後のページ、 (いろんな神父さまやシスターとかの文章が載っていたり 載ってなかったりするあのページ) カルメル会の中川神父さまが書いていらっしゃいました。
弟子たちが「誰が一番偉いか」を議論していた 今日の福音箇所から、 何か難しそうな本(サピエンス全史)から引用されていて
ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は 『私たちは何になりたいのか』ではなく 『私たちは何を望みたいのか』かもしれない。
そこから、イエスが最初の弟子たちにかけた言葉、 「何を求めているのか」(ヨハネ1・38)が迫ってくる。と
読みながら、ㇷと これはまた違う歌なんですが、好きだった歌詞を思い出していました。
“ 自分の心が変わればきっと 世界も変わるはず 思いもよらない方法で 世界は変えられるんだ ”
だから問いかけ続けよう、自分の中に何があるのか… という歌なんですけど、 アレですね、あまりに綺麗ごと過ぎる こういうのよく聞くよねーって思われるかもしれませんね?
なんか、思うんですよね。 私もこうやって観想修道会なんてところにいて、 すごく小さな、閉じられた世界の中で全然見えないし、 なにをやっているんだろうって思われてるんだろうなぁ と。
でも なんていうのか、もしこの世界から 祈り が無くなったらどんなところになるんだろ。 私には想像できない…(微妙に想像したくないというのもある。
だから本当に望むものはなんなのか、問いかけ続けたいし もしかしたら、それはお互いの中に見えて来るものなのかもしれないなぁ、なんて。
あ、We are the world つなぐうた の歌詞のせたかったんですけど 長くなってしまうので、ぜひぜひ検索して聞いてみて下さい!