よろこびの主日

2025年12月14日

待降節 第三主日、よろこびの主日。

よろこびとは なんでしょう。


12月12日㈮の福音朗読マタイ11・16-19                                           『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。                                       葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』

この言葉、いつもなんとなく分かるようだけれど                                   うまく説明できない感じがしていましたが                                   今の自分のようだ とも思えます。


13日㈯マタイ福音17・10-13                                         「…言っておくが、エリヤは既に来たのだ。                                   人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。                              人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」                            そのとき、弟子たちは、                                             イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

都合の悪いことは見えないし、聞こえなくできるのです。                             見たくないもの、聞きたくないものは 間違ったもの                               正しいのは自分だから、私 が中心だから。

エリヤは火のような預言者ですが、ヨハネは預言者以上の者                            「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、                                 あなたの前に道を準備させよう」 と言われる人です。

荒野で 風にそよぐ葦を見たかったのに、                                     しなやかな服を着た人が見たかったのに、と言うのなら                               なにも見つけられないで帰るでしょう。

                         

今日の福音では、そのヨハネのことさえ                                          「しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」                            と言われます。                                                自分の考えがどんどんひっくり返されていくみたい…


神父様は、よろこびと 回心とはひとつである。と言われました。                           回心とはなんでしょう。


いつもと同じお祝いをして、型通りに よろこぶ。                                 なんだかそれは、とっても残念だ と思うのです。



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