よろこびの主日

待降節 第三主日、よろこびの主日。
よろこびとは なんでしょう。
12月12日㈮の福音朗読マタイ11・16-19 『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。 葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』
この言葉、いつもなんとなく分かるようだけれど うまく説明できない感じがしていましたが 今の自分のようだ とも思えます。
13日㈯マタイ福音17・10-13 「…言っておくが、エリヤは既に来たのだ。 人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。 人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」 そのとき、弟子たちは、 イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
都合の悪いことは見えないし、聞こえなくできるのです。 見たくないもの、聞きたくないものは 間違ったもの 正しいのは自分だから、私 が中心だから。
エリヤは火のような預言者ですが、ヨハネは預言者以上の者 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、 あなたの前に道を準備させよう」 と言われる人です。
荒野で 風にそよぐ葦を見たかったのに、 しなやかな服を着た人が見たかったのに、と言うのなら なにも見つけられないで帰るでしょう。
今日の福音では、そのヨハネのことさえ 「しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」 と言われます。 自分の考えがどんどんひっくり返されていくみたい…
神父様は、よろこびと 回心とはひとつである。と言われました。 回心とはなんでしょう。
いつもと同じお祝いをして、型通りに よろこぶ。 なんだかそれは、とっても残念だ と思うのです。
