6月は みこころの月
アナベル、満開です。 そう アナベルでした。ちゃんと思い出しましたよ~ でも なんかいろいろ遠回りしすぎて、ハッ …アナベルだ!って出てきたのに いや、アナベル…?ほんとに?なんか違くない?? と、記憶のゲシュタルト崩壊?みたいなことになってました。(笑)
花って、咲くと重いんですねー 咲きはじめの時はぐんぐん上向いてたのに、 白い花が もっさり、わっさり、重そうに でもやわらかそうに揺れています。 うーん、花びら一枚一枚にまで水分がゆきわたって、咲くんだものね。
6月は「みこころの月」ですね、 みこころ、というと皆さまどんなイメージを思い浮かべるでしょうか? カトリック中央協議会のページに、みこころの信心の説明があって その中教皇ベネディクト16世の言葉が、ちょっと良いなぁ と思いましたので 引用?させて頂きたいと思います。↓
「槍で刺し貫かれたイエスの脇腹を礼拝しながら観想することにより、 わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。 ・・・・『槍で刺し貫かれた脇腹』の内に神の限りない救いのみ旨が輝いています。 ですから、この脇腹を仰ぎ見ること(み心の信心)を、 過去の礼拝ないし信心の形と考えてはなりません。 刺し貫かれた心という象徴に歴史的な信心の表現を見いだした神の愛の礼拝は、 神との生きた関係にとって不可欠なものであり続けます」
イエスのみこころは、御父のみこころ。 私たちへの神さまの想い、いったいどれほどのものなのか それにこたえることができるだろうか? こたえたいと 思っているだろうか。 イエスを仰ぎ見ながら、思いめぐらして、祈ってゆきたいですね。