麦畑 を 歩こう。

今日の福音はマルコ2・23-28、安息日に麦の穂をつむ。の箇所でした。 私たちの空腹、身体的より霊的な空腹 に目を向けたうえでの、 神父さまのことば「麦の穂 は イエズスの御体 」がとても印象に残りました。
で、少しそのことについて、いろいろ考えたりしてみました。 いつものようにMemo的なものですが・・・
・私たち、歩いている。麦畑の中を歩いている。ー だからつむことができる。 まわりにある豊かな麦に、気付いている?
・麦の穂をつむ ー 手をのばして。そのとき、一番必要なものをくださるんだと思う。
・手で揉む ー 神さまのみ心を思い巡らすこと、かな?
・食べる ー 咀嚼、かみ砕く、あじわう
・お腹の中 ー なにを感じる? そしてまた歩いてく、歩くことができる。
今は、ご聖体そのものは いただけないことが多いかもしれないですけれど、 毎日の生活の中に、麦畑をみつけていけたらいいな と思うし、 弟子たち だから1人で歩いているのではないから、 たとえば今日の聖書のことだったりを誰かと話してみたり、つぶやいてみたりする中で、 イエズスを身近に感じることにつながっていくのかな、と思います。