麦畑 を 歩こう。

2021年01月19日

今日の福音はマルコ2・23-28、安息日に麦の穂をつむ。の箇所でした。          私たちの空腹、身体的より霊的な空腹 に目を向けたうえでの、                 神父さまのことば「麦の穂 は イエズスの御体 」がとても印象に残りました。

で、少しそのことについて、いろいろ考えたりしてみました。                 いつものようにMemo的なものですが・・・

・私たち、歩いている。麦畑の中を歩いている。ー だからつむことができる。                                                                                                                        まわりにある豊かな麦に、気付いている?      

・麦の穂をつむ ー 手をのばして。そのとき、一番必要なものをくださるんだと思う。

・手で揉む ー 神さまのみ心を思い巡らすこと、かな?

・食べる ー 咀嚼、かみ砕く、あじわう

・お腹の中 ー なにを感じる? そしてまた歩いてく、歩くことができる。


今は、ご聖体そのものは いただけないことが多いかもしれないですけれど、           毎日の生活の中に、麦畑をみつけていけたらいいな と思うし、                 弟子たち だから1人で歩いているのではないから、                      たとえば今日の聖書のことだったりを誰かと話してみたり、つぶやいてみたりする中で、     イエズスを身近に感じることにつながっていくのかな、と思います。

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