隠れたところに おられる。

もうどこにもいない、なんて言ったら舞い戻ってきちゃいましたね、冬。(笑) 昨日は雪も降って、びっくりしました。
この前の水曜日から四旬節、はじまりましたね。 その灰の水曜日の朗読箇所だったか、「隠れたところにおられる神」というのが なんだか目に留まって。 隠れたところ、、私たちから隠れている。ということじゃあないんだよね?と
雪の降った日、お昼間はいいお天気だったので、ちょっとお散歩したのですが、 沈丁花のつぼみが ぎっしり(この表現で良いのだろうか(笑) で、また花も香りも楽しみだな~と思いつつ、、 雪柳も緑の芽が出ていて、かわいいなあと、よく見てみると 針金みたいに細い枝の先までちっちゃな芽が並んでいて、 そこからさらに小指の先ほどの枝が ひょ ひょっと出ている、それにもきっちり緑がついてる!
うーん、なんかね 変なんですけど、人の毛細血管みたいなのを思い出していました。 そんな髪の毛みたいな血管にも 血液が通ってる、先の先まで。 それで、私たち普通に生きることができてる。 人の体のどこを切っても、血が流れ出る…
隠れたところにおられる神さま。 だから 覗き込めば、みつけようと思えば、 どんなことの中にもおられるのかな、と。