論じ合おうではないか、と

2021年03月02日

今日の第一朗読 イザヤ1・10、16-20  から                             

論じ合おうではないか、と主は言われる。

論じ合うということは、私とは違う考え、思いがある。ということ、                     主は「できる」と言われる。 私たちがどんなに否定しても、、                    

今朝の神父さまの言葉で、                                      「私たちと話すために降りてきてくださった、イエズス・キリスト」というのを聞いていて、           前に読んだ本のことを、思い出しました。                            ヘンリ・ナウエンの「明日への道」から、(日記形式で書かれています。)                              少し長いのですが、全部好きなので… 

3月26日(水) 絶望の声はこう呟く。                         「いく度も いく度も、私は罪を犯してしまう。                        今度こそ良くなろうと 自分や他人に何度も約束するが、また同じことをしてしまう。              もう変えようなんて考えないほうがいい。                            何年も努力したが、結局 なにも変わらなかった。これからも同じだろう。                こんなことなら、人の邪魔にならない どこかへ行き、忘れられ 死んだほうが ましだ。」

しかし、イエスは別の声を告げるために来られた。                        「わたしは あなたの神。あなたは わたしの手が創造した。                  わたしは自分の造ったものを愛してやまない。                               わたしは あなたを限りない愛をもって 愛している。                            わたしが神から愛されているように、無限の愛をもって あなたを愛している。             

わたしから立ち去らないで、わたしのもとに帰って来なさい。                一度でも、二度でも 何度でも、いくたびでも、わたしのもとに帰って来なさい。                 あなたは  わたしの子だ。                                     あなたが戻るたびに、わたしは あなたを抱擁し、胸に抱きかかえ、口づけし 髪をなでようー…

さあ、こちらに来なさい。 あなたの涙を拭わせてほしい。                       そして あなたの耳元近くで こう告げよう。 

わたしは あなたを 愛している。 あなたを愛している。  あなたを愛している。                 

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