荒野を旅する仲間
それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、 シカルというサマリアの町に来られた。 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。 正午ごろのことである。サマリアの女が水をくみに来た。 イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 すると、サマリアの女は、 「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。 ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 イエスは答えて言われた。 「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、 『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、 あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
今日の福音ヨハネ4・5-42 より最初の場面。
この世という荒野のなかで、 愛を失い、求めてさまよっている、自分を見失っている人の姿があります。 イエスは永遠の水がどこにあるのか教えてくださいます。
新しい掟、いのちの ことば、まことの水 をたずさえて、 荒野で愛を学び、新しい自分、新しい いのち に生き始める
イエスと出会い、 愛されていることを知ったイエスを信じる仲間とともに 旅する・・・
今日のごミサのお話しの中での言葉は、 女子御受難会のマザー・プレジデント(総長さま)の 公式訪問中の私たちには とても深い響きをもって聞こえた と思います。
初めての公式訪問という大きな恵みをとおして、 この日本には一つしかない女子御受難会ですが、 世界の女子御受難会の姉妹たちとの繋がり、 大きな家族のような繋がり、あたたかさ、力強さを感じました。
私たちの変化は、外面的には小さなものに見えるかもしれない。 でもそれは きっと大きな実りになってゆくと信じているし、 私たちは希望を持っています!
私たちが歩むのは、旅は、 この世とい荒野のなかで イエスを知り、愛されていることを知り、 よろこびを 知っている仲間とともに、なのだ。
苦しみの中で、苦しむイエスが共にいて下さり そのイエスの十字架こそが、神の無限の愛のあらわれなんだ、と
私たちPassionist Nuns はそれを伝え、 十字架のもと、イエスのもとへ と人々を招く、ともに行く。 そういうもの なんだと感じました。
この四旬節を歩む、一人ひとりにイエスの呼びかける声を聞き、 イエスに出会い、愛されていることを知る 恵みを求めて祈りましょう