花婿が奪い取られるとき

2025年03月07日

今日の福音、マタイ8・14-15

「花婿が一緒にいる間、                                            婚礼の客は悲しむことができるだろうか。                                       しかし、花婿が奪い取られる時が来る。                                     そのとき、彼らは断食することになる。」

主を見出すために、主を見失わなければならない                                  まことの回心 → 主を見出すための道                                        (今日のミサnoteより)


今日の第一朗読、イザヤ58・1-9a

喉をからして叫べ、黙すな                                          声をあげよ、角笛のように。                                          わたしの民に、その背きを                                            ヤコブの家に、その罪を告げよ。                                         

彼らが日々わたしを尋ね求め                                          わたしの道を知ろうと望むように。                                       恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として                                   彼らがわたしの正しい裁きを尋ね                                       神に近くあることを望むように。                                        (58・1-2)


神父さまの言葉を心に置きながら、                                          自分の罪、自分の姿を見つめなおすとき、                                      主を訪ね求めることが、                                             主に向き直ることができるのか、と思う。                                                                         

昨日の第一朗読のように、                                               命と災い、どちらを選んでゆくのか。

主が望まれること、                                                私の表面的な欲と、本当に望むこと。 

あなたの神、主を愛し、                                            御声を聞き、主につき従いなさい。                                       それが、まさしくあなたの命である                                        (申命記30・20)

と、知ることができるように…



                             

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