花婿が奪い取られるとき

今日の福音、マタイ8・14-15
「花婿が一緒にいる間、 婚礼の客は悲しむことができるだろうか。 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。 そのとき、彼らは断食することになる。」
主を見出すために、主を見失わなければならない まことの回心 → 主を見出すための道 (今日のミサnoteより)
今日の第一朗読、イザヤ58・1-9a
喉をからして叫べ、黙すな 声をあげよ、角笛のように。 わたしの民に、その背きを ヤコブの家に、その罪を告げよ。
彼らが日々わたしを尋ね求め わたしの道を知ろうと望むように。 恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として 彼らがわたしの正しい裁きを尋ね 神に近くあることを望むように。 (58・1-2)
神父さまの言葉を心に置きながら、 自分の罪、自分の姿を見つめなおすとき、 主を訪ね求めることが、 主に向き直ることができるのか、と思う。
昨日の第一朗読のように、 命と災い、どちらを選んでゆくのか。
主が望まれること、 私の表面的な欲と、本当に望むこと。
あなたの神、主を愛し、 御声を聞き、主につき従いなさい。 それが、まさしくあなたの命である (申命記30・20)
と、知ることができるように…