聖人 と 表と裏
先日、小崎登明さん(コンベンツァル聖フランシスコ会 修道士)のTVがあったということで みんなで観ました。 お名前はよく聞いていたけれど、こんな方だったんだなー、と すごく自然、すごくそのまま、そのままの気持ちが伝わってくるよう です。 全部よいでしたが、印象にのこったのが、
自分の 逃げた、助けなかった、ゆるさなかった、長崎の原爆の日の体験と、 同じ修道会のコルベ神父さまのことを調べていく中で、アウシュビッツに行き、 その壁に触れ、部屋の格子のはまった 小さな窓… を見たとき その人の代わりに亡くなられたコルベ神父さまの行いが、 表と裏のように ひとつ になった。 逃げる、助けない、ゆるさない=人の本質のように思うけれど、 希望を持つことができる…。
という言葉でした。(ちょっとおぼろげですが;) 私はちょっと、聖人 聖人伝 というのに苦手意識がありまして、 聖人はもちろんスゴイ人なのだけれど、なんとゆうか 私 との関わり?接点というものを みつけられない、、のかな。 でもこの言葉を聞いたとき、あ、こんな感じ方があるんだ… こんな風に感じてみたい、と思いました。
聖人と呼ばれる人たちを、私たちの希望 として見ていくことができたら、 近づいてみることができたらいいなーと思っています。