聖人 と 表と裏

2020年08月12日

先日、小崎登明さん(コンベンツァル聖フランシスコ会 修道士)のTVがあったということで  みんなで観ました。                                   お名前はよく聞いていたけれど、こんな方だったんだなー、と                すごく自然、すごくそのまま、そのままの気持ちが伝わってくるよう です。         全部よいでしたが、印象にのこったのが、

自分の 逃げた、助けなかった、ゆるさなかった、長崎の原爆の日の体験と、         同じ修道会のコルベ神父さまのことを調べていく中で、アウシュビッツに行き、        その壁に触れ、部屋の格子のはまった 小さな窓… を見たとき               その人の代わりに亡くなられたコルベ神父さまの行いが、                  表と裏のように ひとつ になった。                            逃げる、助けない、ゆるさない=人の本質のように思うけれど、               希望を持つことができる…。

という言葉でした。(ちょっとおぼろげですが;)                     私はちょっと、聖人 聖人伝 というのに苦手意識がありまして、              聖人はもちろんスゴイ人なのだけれど、なんとゆうか 私 との関わり?接点というものを    みつけられない、、のかな。                               でもこの言葉を聞いたとき、あ、こんな感じ方があるんだ…                 こんな風に感じてみたい、と思いました。

聖人と呼ばれる人たちを、私たちの希望 として見ていくことができたら、          近づいてみることができたらいいなーと思っています。

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