耕す人。
今週は第一朗読、天地創造の箇所が読まれていきますね、 今日は2つめの天地創造(創2・4bー9、15-17)のはじまりでした。
読みながら思ったこと。 ・耕す、てなんなんだろう。 ・木や草が生えるために必要なのは、雨。 ・人がつくられた 地を潤したのは地下から湧き出た水。 ・なんのために耕すんだろう? 食べるのには困らないみたいなのに、、
今日の福音は(マコ7・1-3) 人を汚すのは 外からのものでなく、人の心の中から出るもの…
神さまの みこころはどこから来るんだろう。 外から? 上から? … 地下から ?
自分の心から出てくる様々な思いは、無くなるってことは無いと思う。 汚されないってどうしたらいいんだろう。 そのために「耕す」ということが必要なのかなぁ…
神父さまのお話しでは、神さまが人に息を吹き入れられたのは つくったものにハンコを押す、銘を入れる、みたいなもの。 その神さまのしるし、によって生きるようになった、と。
人は 耕すために つくられたのではないと思うけれど、 人が「いきる」ということと、 耕す ということは離せないことなのかもしれないなあ、と 思ったりしています。