神の御心を行う人 とは

今日の福音、マルコ3・31-35 にて イエスさまは言われます。
『神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』
「神の御心を行う人」とは、どんな人のことなのか?と 思いながら読み返すと、 イエスさまは この言葉を、周りに座っている人々を見回して ここに わたしの母、兄弟がいる。と言われていることに気付きます。
イエスさまのそばに来て、座って、 その言葉を聞いている、聞こうとしている 人々…
少し前にカトリック新聞で、 アンドレア・レンボ司教さまについての記事の中に ー… 毎日の福音から一言を選び、 その みことばであるイエスと 一日を過ごす暮らしを身に付けた… ー
と あって、ちょっと最近忘れ気味だなぁ と; ミサが終わり、一日が始まってしまえば その流れの中で、夕方には 今日の福音はなんだったっけ…? となっていることも多々あって、、
気になった、心にとまった 一文、一言を覚えていると 一日の流れの中でも ちょっとした出来事、 耳にしたり 目にした言葉が、なにか連鎖みたいな、 あ、コレ 繋がってくるんじゃない? みたいに感じられたり する。
たぶん きっと、本当はそういうものが ありえないくらい 散りばめられているのだと思う、けれど その日、そのとき、合わさった 見えるものしか 見えないんだ。と思う
イエスのそばに座っている人々、 みことばであるイエスと共に過ごすこと、 神の御心を行う人となるように、、