神の国は近くに
今日の福音は マタイでは「山上の説教」といわれるところでしたね。 今日はルカ6・17、20-26 で「幸いと不幸」というタイトルになっています。
マタイでは山に登って、ですがルカでは山から下りて… なんですね。 神父さまのお話しでは、 山の上 → 神との出会いの場 下りたところ・平らなところ → 実際の生活の場 のこと。と言われていました
続きで またちょっとメモみたいなものですが、 不幸か幸せか 自分の心の問題、内的な問題と言ってしまって良いのか? それは イエスの教えを小さく閉じ込めて、見えなくしてしまう、、 カギとなる言葉は『神の国はあなたがたのものである』 宣教の初めにイエスが言われた言葉「神の国は近づいた」を思い出す。 神の国 ー 愛の原理がすべてを支配する、秩序付けられる 世界 新しい世界が 始まった、だから 私たちは変わることができる。
これは あのー 私のフラットな、なんていうのかな 昔から持ってる考え?なんですけれど、 死んだら、なにも無くなってしまったらいいのに。という なんだろ、理想みたいな感じなのかなぁ。 あ、これスゴい何か言われそう、怒られそ~ (笑)
うーん、でもだから というか こういうの持っているからこそ というのか (ちょっと言い訳っぽく聞こえますけど) その 「神の国」、想像することもできないし、 全くわからないから 憧れるということもできないんだけど、 それは あるんだ と信じる… というより、もっとそれは確かなことだ と思うんです。
って、つらつらと書いてきましたけれど、神の国って死んだ後に来るものなの? なんか第二朗読(1コリ15)が「死者の復活」のことだったので 余計そんな感じに捉えてしまっていましたが…
イエスが山を下りて 話して下さった。 ということは、私たちの今の 現実の生活に 関係があるのでしょう? 神の国の完成、はまだ見えない 思い描くこともできないかもしれないけれど、、
ーしかし実際、キリストは死者の中から復活し、 眠りについた人たちの初穂となられました。ー (1コリ15・20)
もう それは始まっている はず 。