神の国は近くに

2022年02月13日

今日の福音は マタイでは「山上の説教」といわれるところでしたね。                           今日はルカ6・17、20-26 で「幸いと不幸」というタイトルになっています。                       

マタイでは山に登って、ですがルカでは山から下りて… なんですね。                          神父さまのお話しでは、                                                 山の上 → 神との出会いの場                                             下りたところ・平らなところ → 実際の生活の場 のこと。と言われていました

続きで またちょっとメモみたいなものですが、                                     不幸か幸せか 自分の心の問題、内的な問題と言ってしまって良いのか?                            それは イエスの教えを小さく閉じ込めて、見えなくしてしまう、、                            カギとなる言葉は『神の国はあなたがたのものである』                               宣教の初めにイエスが言われた言葉「神の国は近づいた」を思い出す。                            神の国 ー 愛の原理がすべてを支配する、秩序付けられる 世界                                  新しい世界が 始まった、だから 私たちは変わることができる。

これは あのー 私のフラットな、なんていうのかな                                    昔から持ってる考え?なんですけれど、                                       死んだら、なにも無くなってしまったらいいのに。という                                 なんだろ、理想みたいな感じなのかなぁ。                                         あ、これスゴい何か言われそう、怒られそ~ (笑) 

うーん、でもだから というか こういうの持っているからこそ というのか                             (ちょっと言い訳っぽく聞こえますけど)                                    その 「神の国」、想像することもできないし、                                     全くわからないから 憧れるということもできないんだけど、                             それは あるんだ と信じる… というより、もっとそれは確かなことだ と思うんです。

って、つらつらと書いてきましたけれど、神の国って死んだ後に来るものなの?                    なんか第二朗読(1コリ15)が「死者の復活」のことだったので                            余計そんな感じに捉えてしまっていましたが…

イエスが山を下りて 話して下さった。                                        ということは、私たちの今の 現実の生活に 関係があるのでしょう?                          神の国の完成、はまだ見えない 思い描くこともできないかもしれないけれど、、

ーしかし実際、キリストは死者の中から復活し、                                                眠りについた人たちの初穂となられました。ー  (1コリ15・20)                                                    

もう それは始まっている はず 。       

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