神のみことばの主日

今日の福音ルカ4・16-21のなかでイエスは預言者イザヤの巻物を読み、そして言われます
『主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。』
ー そこでイエスは、 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」 と話し始められた。
貧しい人とは、捕らわれている人・目の見えない人・圧迫されている人 つまり私たちのことなんでしょう。
神父さまのお話しでは、貧しい人=神の、イエスの助けを必要とする者。 イエスを見えなくするものに 捕らわれ、 それによって以前は見えていたのに、みえなくなった、イエスを見失い、 希望を失い、打ちひしがれている…
この神の言葉が実現するとは、神の救い、神の助けが実現してゆくこと。 ちょっと、途中うまく書き留められなかったので 最後のとこだけになりますが; イエスを見ること、十字架のイエスを通して御父を見る、 十字架を通して、御父の栄光を見る… 私たちが、また十字架を担いでゆくことができるように、と。
今日の福音を、第一・第二朗読とあわせて読んでいると、 なんとなく、私たちは恵みを告げられるものだけれど、 私たちもまた、恵みを 救いを告げるもの、 遣わされるものになるようにと招かれているように感じました。
ーあなたがたはキリストの体であり、また、一人ひとりは その部分です。ー
ー皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。 皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。 皆が異言を語るであろうか。皆がそれを解釈するであろうか。ー (第二朗読1コリント12・12-30より)
もし私が与えられた賜物によって、神の恵みを現わすものであるなら、 また私も キリストの一部であるその人から、 神の恵み 救い、神のことばを聞くだろう。