神のみことばの主日

2022年01月23日

今日の福音ルカ4・16-21のなかでイエスは預言者イザヤの巻物を読み、そして言われます          

『主の霊がわたしの上におられる。                                          貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。                      主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、                              目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、                         主の恵みの年を告げるためである。』

ー そこでイエスは、                                                  「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」                            と話し始められた。

貧しい人とは、捕らわれている人・目の見えない人・圧迫されている人                           つまり私たちのことなんでしょう。

神父さまのお話しでは、貧しい人=神の、イエスの助けを必要とする者。                          イエスを見えなくするものに 捕らわれ、                                        それによって以前は見えていたのに、みえなくなった、イエスを見失い、                        希望を失い、打ちひしがれている…

この神の言葉が実現するとは、神の救い、神の助けが実現してゆくこと。                      ちょっと、途中うまく書き留められなかったので 最後のとこだけになりますが;                    イエスを見ること、十字架のイエスを通して御父を見る、                                 十字架を通して、御父の栄光を見る…                                           私たちが、また十字架を担いでゆくことができるように、と。

今日の福音を、第一・第二朗読とあわせて読んでいると、                                なんとなく、私たちは恵みを告げられるものだけれど、                                私たちもまた、恵みを 救いを告げるもの、                                   遣わされるものになるようにと招かれているように感じました。

ーあなたがたはキリストの体であり、また、一人ひとりは その部分です。ー

ー皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。                         皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。                                     皆が異言を語るであろうか。皆がそれを解釈するであろうか。ー (第二朗読1コリント12・12-30より)

もし私が与えられた賜物によって、神の恵みを現わすものであるなら、                              また私も キリストの一部であるその人から、                                    神の恵み 救い、神のことばを聞くだろう。                                      

                               

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