神さまの なされること

2023年12月16日

このまえ、朝から なんだか寒くて                                              もう さむい、さむーい!とギュウギュウ(?)していたのですが                         掃除しなくちゃー と思って、上着来て外に出ると                                   すごい暖かかった…                                             これが修道院あるある、という(笑)                                                                                


今週は第二朗読で イザヤ書が読まれてますけれど、                                 ずっと心の片隅に残っていた言葉がありました。

彼らはこれを見て、悟り                                              互いに気づかせ、目覚めさせる                                             主の御手がこれを成し遂げ                                                 イスラエルの聖なる神がこれを想像されたことを。                                    (イザヤ41・20)

こう一文だけ抜き出したりするのは、あんまり良くないのかもしれないですけど;                   「互いに気づかせ、目覚めさせる」というのが                                      どういうコトなんだろうなぁ、と思っていました。


そんなところで、昨日の福音を読みながら考えていました。                                        

今の時代を何にたとえたらよいか。                                      広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。                      『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。                                      葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』                               

ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、                                『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、                                         人の子が来て、飲み食いすると、                                       『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。                         しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」                                  (マタイ11・16-19 )

自分の願っていること、期待すること とは違うことが 起こっているとき                          なにを思うのだろうか?                                                 その人のうちに、私のうちに、あること 起こっていること                                 すべてに神さまの手が働いていることに 気づくことができたら…

救いの出来事は、暗い夜に、旅の途中に、寒い馬小屋に、                             幼子の姿で、思いもよらないとろに やってくる。

それを見て、思てたんとちがう となってもいい。                                     驚いてもいい、立ち止まっても いい、と思う。                                     

私自身も神さまの御手によって作られたものなんだ、と                                   救いの出来事のうちにあるんだと、                                         そんなふうに感じられるときが 来るかもしれない。


この時期によく思い出す、私の好きな言葉で今日は終わりたいと思います。                         ヘンリー・ナウェン「明日への道」より

12月24日(火)このクリスマスイブに、もっとマシなことが書けたらと思う。                       しかし真実を書くほうが、信心深そうなことを書くより良いだろう。                            神は来られる。落ち着きのない心、何かを不安がる心に  神は来られる。                           自分の いらだち、混乱。                                           しかし、神はそれをなんとかしてくださるという信頼を神に捧げよう。                                                                  



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