神さまの あたりまえ。
写真は、キウイの棚をおおっていたアサガオの現在。 地面を見ると、足の踏み場もなく 種が…! これは 今年の夏 スゴイことになりそうですねぇ。(笑)
今日の福音は、ルカ15章、放蕩息子の箇所でしたね。 読んでいて印象に残ったのは、お父さんが最後に言う「当たり前ではないか」という言葉。 神さまの「あたりまえ」って…… ありえないなぁ と。
そういえば最近どこかで見たのだけど、マザー・テレサは 「ありがとう」の反対の言葉は「当たり前」と言ったそうな。 神さまの あたりまえ、は私たちにとって真逆のことなのかも、、 だから、もはや「有り難い」よりも、もう ありえない んじゃないかと思う。
これは たとえ話しだから、あんまり書かれていない所を想像してはよくないかなーと思うけれど、 このお父さんの言葉を聞いた、お兄さんの反応はどうだったんだろう。と、、
嫌味たっぷりで「あなたの あの息子」と言って、不満をぶちまけたのに 「おまえの あの弟は」と同じ言葉でもって、 お兄さんも弟も同じわたしの子供なんだよ。と言っているみたい。 だから、あたりまえじゃないか。と 言うお父さんを前にして、、
呆気にとられて、目をパチパチまたたいて、ひとつ、息を吸って 吐いて… (笑) お父さんの後について入って、 たぶん、こんなことになるとは思っていなかっただろう弟と 目があったりして。
2人してお父さんをつくづく眺めながら、 この人は私たちのお父さんだけど、いったい なんて人なんだろう…? なんて思っていたりしたら、いいなあ。