知恵 と 賢さ
ぐぐっと寒くなって参りましたね。 ちょっとおひさしぶりになってしまいました; 寒いと固まってきちゃうので 心も身体もほぐして、あったかくしてゆきたいですね~
主日の第一朗読 知恵の書6・12-16
知恵は輝かしく、朽ちることがない。 知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。 求める人には自分の方から姿を見せる。 知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに自宅の門前で待っている知恵に出会う。 知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、 知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。 知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、 道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。
今週はずっと知恵の書が読まれるんですよねー、と 何度か繰り返し読んでいるうちに、 そういえば 福音はなんだったっけとなり、 ああ、賢いおとめ(本当は十人のおとめ)のお話しだ! と思い出しました。
知恵とは~ということを考えていたからか、 はて、賢いおとめたちの「賢さ」とはなんだろうか。と…
なんかいつも、みんな眠ってしまった ということにひっかかりがちなんですが、 最後に「だから目を覚ましていなさい」という言葉もあるけれど、 これは、お話しの中のみんなが眠ったことには かかっていないみたい。
知恵=賢さ なんだろうか? 知恵の書によると、知恵は 知恵を探す人、求める人のところに現れてくれるらしい。 賢いおとめたちは、「油を分けて下さい」と言うのに 自分で買ってきなさいと、すげなく言っているように聞こえるけれど、 自分たちもそうして求めたから なのかもしれない。
知恵=賢さ=油? 5人が持っていた「賢さ」は知恵を求めたから、与えられた ともにいてくださるようになった、ということなのかな。 自分が持っていないこと、足りないことに気付いたから。
今日の知恵の書の箇所(1・1-7)にあった、 『知恵は人間を慈しむ霊である』 という言葉に、驚かされました。
眠ってしまっても、油はこぼれることなく そこにいてくれて、 私たちの ともし火を燃やし続けてくれる そんなふうに思いました。
( blog 書いていたら、サーバー?の調子が悪かったのか何度もまっしろになって、、 泣きそうになったのは、ここだけの秘密です(笑;)