清くされた、いやされた … 救われた。 

2021年11月11日

修道院の聖堂から見える景色も、緑の葉はみえなくなり                                   少なくなった葉は鮮やかに、もしくは渋く紅葉して                                     秋の深まりを感じる今日このごろです。

昨日の福音ルカ17・11-19                                               皮膚病を清くされた10人のうち、戻ってきたのはひとりだけだった、というところでした。

9人とひとりの人の違いはなんでしょう?                                       言葉を見ていくと、何かおもしろい。                                        「彼らは、そこへ行く途中で清くされた。」                                        なぜ、いやされた ではないのだろう?            

清くされた のは全員で、皮膚病が治ったということに気付いたのも 全員。                      「そのなかのひとりは、自分がいやされたのを知って・・・」                             このひとだけが気付いたこと=いやされた、ということなのか                             9人は自分が治ったことに喜んだ。                                          ひとりの人は自分が いやされた ことに気付いた。

いやされた、ということは誰かが自分をいやした、ということだ                             それは 誰 なのか?                                                みんなで出迎えて、憐れんでくださいと頼んだのは 誰だったのか?

その人は、「大声で神を賛美しながら戻ってきた。」                                   「そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。」                                   自分をいやして下さったかたを、知ったから。

イエスはその人に言う                                             「あなたの信仰が あなたを救った」

私をいやして下さったかたを知ったから、                                        そのかたを賛美し、感謝する。                                           それが私を救う、救われた ということなんだ。        

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