洗礼者 聖ヨハネの誕生
今日は洗礼者 聖ヨハネの誕生の祭日でした。
この祭日に、何を見ることができるでしょう 何を受け取ることができるでしょう
ザカリアとエリザベトは 非の打ちどころのない正しい人でしたが、 子どもが無かったことは 2人にとって大きな悲しみであり、 苦しみであり、落胆であったかもしれません。
それは自分たちでは、人には、どうすることもできないこと
「ヨハネ」と言う名前は、神はあわれんでくださった とか 神は恵みをお与えになった、とかそういう意味だそう。 それは 今までに無かった名前。
もう年をとって、子供をもつことなどできないと わかっている、 けれど、きっとずっと奥底にあった願いに 神さまは応えてくださった。 私たちの思い、考え を遥かに超える恵み、神のあわれみ
そしてヨハネは、まだエリザベトの胎にいるときに イエスとの出会いの よろこび を最初に体験する人になります。 ヨハネの誕生によって、そのよろこびは 周りの人もいっしょによろこぶ、よろこびに巻き込んでいきます。
皆がヨハネを見ています。何をみているのでしょう。
ー いったい この子は どんな人になるのだろうか ー
その子によって、なにが表されてゆくのか イエスに出会った人が、どんな者になってゆくのか
今日の第一朗読のことばを思い出します。
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は
こう言われる。わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。 (イザヤ 49・1-6より)
最後に、教皇フランシスコがこの祭日に 私たちになげかけられた言葉を、心に留めてゆきたいです。
神に忠実な民は、喜びをもって、仰天しながら、 驚き感謝しながら、信仰を生きることができます。 この仰天の出来事を、ヨハネの誕生というこの奇跡を話題に おしゃべりしていた人たちを見てみましょう。 うれしそうにそれを語り、衝撃と驚嘆と感謝を覚えて満足げです。 その様子に目を向けながら、振り返ってみましょう。
わたしの信仰はどうだろう。喜びの中にあるだろうか。 神による驚きに心を開いているだろうか。 神とは、驚かせる神なのだから。 神がおられることで生じる驚愕を、あの感謝の思いを、 心で「味わって」いるだろうか。信仰の心情であるこれら、 つまり喜び、仰天の思い、驚き、感謝について考えてみてください。
(2018年 6月24日より)