残ったのは、だれなのか?
今日の福音 ヨハネ8・1-11 あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。
神父さまのお話しの中で、この言葉を聞いた人たちが、 ひとり ひとり と立ち去ったところを、 私たちの罪が、ひとつ ひとつ 許されてゆく。 最後までイエスの所に留まったのは、誰なのか? と言われたのが印象に残りました。
ひとつ ひとつ 罪がゆるされてゆくっていうのは、 正しい者、善い者になってゆく、ってことじゃないんだろう と思う。 自分が 罪あるものだ、ということを知ってゆく、、 でも、それを越えさせてもらえる?ということも知ってゆく ような…
連れてきた人たちは、自分の罪によってイエズスから去った。 女の人は、罪のためにイエズスのもとに留まった。
罪が許されてゆく、いらないもの、自分の捉われから解放されて、 最後に残ったものは何なのか、自分の姿をほんとうに見るとき、どうするのか。
昨日の福音の、イエズスの最後の言葉が聞こえるような気がする、 ーわたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。ー