招かれている 私たちだから
2022年09月21日
今日は聖マタイ使徒福音記者の祝日でした。
フィリピンに来ているからといって、英語ができるわけでもなく
神父さまのお話しとはまったく かけ離れたことを言ってますので御了承ください。
(っても、いつものことなんですけど;)
第一朗読エフェソ4・1-7、11-13から
… それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。…
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、
キリストの体を造りあげてゆき、ついには、
わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、
成熟した人間になり、
キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。…
フィリピンのシスターズと交流,というのかな?
お話しを聞いたりするなかで、
読みなおしてみると、なにか力強さを感じます。
修道会、召命、いろいろ大変なことはあるし
世代の移り変わり、たくさんの変化を越えてゆかなければならないかもしれない けれど、
一つの希望にあずかるよう招かれた者だから、
そこにいる一人ひとりが、成長することを止めなければ、
修道会というものも、成長してゆくはずだ、と。
完成して、もう何もかも変わらない 出来上がったものでは無くて
そのときまで、招かれ続けているものだと思うから …
☆今日の写真☆
フィリピンの修道院は広いので、
敷地内をトライシクルで案内してもらいました!
後部座席に乗ってみたかったのですが、
危ないから〜と言われてしまいました…