手遅れ、は無いんだよ。

2020年09月22日

わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである(ルカ8・19-21)

今日の福音と、神父さまのお話しを聞きながら、イエズスは私に 理解することを       求めてはいないような気がするなーと感じていました。                   お話のなかで引用されたイザヤ書、

天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を              わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。

は、先週朗読されたところで、捕囚中の予言、手遅れの予言。                それは無意味なことなのか?というお話しだったと思いますが、、              たぶん神さまにとって、手遅れ ということは無いんだ、と思う。              確かに人は昔も今も変わらないのかもしれない。                      でも一人ひとりの一生の中で、経験、体験があって、受け入れた時 少しずつかわってゆく…  その時のお話しの中で印象に残った言葉がありました。

「そうじゃないにも関わらず、そうだ と言ってくださるイエズス」             「自分にしなないとだめ、生かされないと だめ」

たくさんの理想、こうあるべき と言われる姿、期待 もしくは期待されないこと、、      そんな中で、もちゃ もちゃと生きている 私 という現実                   自分を手放しきることもできず、その思いを見上げることも忘れている…           それでも(だから?)、何時になっても来てくださる また次の日も、次の日も、       もらえるのは一日分の報酬。今日を生きるために かき集めてくださった いのち なんだ。    一人ひとりに約束してくださることに感謝したいなあ

私 が見る私 を信じるのか、それともイエズスが見る 私 を信じることができるだろうか。


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