思いは高く超えて

2023年09月26日

9月24日 今週の福音は、マタイ20・1-16                                      ぶどう園の主人と労働者に例えた、イエスの天の国のお話しでした。                           簡単に言うと、このぶどう園の主人が 人を雇って、                                            早くから働いた人にも、遅くに来た人にも 同じ賃金を払う。というお話し。

何処から立って見るかによって、いろいろ違ってきそうなところですよね。                           私もだいたい労働者側で考えることが多かったように思います、                           が、今日は主人の方に目が向きました。

でも、まず第一朗読イザヤ55・6-9を                                           なんだろう、最初の前提として?下地というのかな、                               心に留めておきたいところ。

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり                                  わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。                             天が地を高く超えているように                                        わたしの道は、あなたたちの道を                                       わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。

神様の思いと、私の思いは 違う。ということを知るというのは                             大事なことなんじゃないか、と思う。                                           違っているからダメ とかでなくて、                                           理解とかそういうことを超えてゆく、そういうことなんだ、と。


福音に戻って 主人を見てみると、                                       この人は何がしたいんだろう、ぶどう園で働く人がほしいのか?                         主人が広場に立っている人にかけた言葉に、ちょっと考える。                                       

「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」                          

うち人手が必要なんだよね!とかじゃなく、                                      賃金を払ってやるから~、と言う。


最後に来た人から賃金を払って、わざわざ同じ額をもらうのを見せる理由はなんだろう?                    今日の福音の最後、イエスは言います

後にいるものが先になり、先にいるものが後になる

最後に来た人も、同じだけの賃金をもらうことを目にした 最初の人は                             その出来事を告げて、まだ立っている人をそこに送る、連れてゆく                               そんな者になるんじゃないかな。                                              自分を呼んでくれた、その主人がしたように…                                                            

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