思いは高く超えて

9月24日 今週の福音は、マタイ20・1-16 ぶどう園の主人と労働者に例えた、イエスの天の国のお話しでした。 簡単に言うと、このぶどう園の主人が 人を雇って、 早くから働いた人にも、遅くに来た人にも 同じ賃金を払う。というお話し。
何処から立って見るかによって、いろいろ違ってきそうなところですよね。 私もだいたい労働者側で考えることが多かったように思います、 が、今日は主人の方に目が向きました。
でも、まず第一朗読イザヤ55・6-9を なんだろう、最初の前提として?下地というのかな、 心に留めておきたいところ。
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。 天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。
神様の思いと、私の思いは 違う。ということを知るというのは 大事なことなんじゃないか、と思う。 違っているからダメ とかでなくて、 理解とかそういうことを超えてゆく、そういうことなんだ、と。
福音に戻って 主人を見てみると、 この人は何がしたいんだろう、ぶどう園で働く人がほしいのか? 主人が広場に立っている人にかけた言葉に、ちょっと考える。
「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」
うち人手が必要なんだよね!とかじゃなく、 賃金を払ってやるから~、と言う。
最後に来た人から賃金を払って、わざわざ同じ額をもらうのを見せる理由はなんだろう? 今日の福音の最後、イエスは言います
後にいるものが先になり、先にいるものが後になる
最後に来た人も、同じだけの賃金をもらうことを目にした 最初の人は その出来事を告げて、まだ立っている人をそこに送る、連れてゆく そんな者になるんじゃないかな。 自分を呼んでくれた、その主人がしたように…