心残り
今日は聖エリザベト修道女の記念日でした。 神父さまのお話しで、なんだか王女さまというイメージがすごく残った気がするんですが すごく苦労した 王女さま、ね。(笑)
24歳で亡くなったと、若いな~ 御主人を亡くしてから、貧しい人や病気の人のために財産を全て使って、 またその人たちのお世話を自分でもされた。と
うーん、とですね、私が一時期通っていた教会があって、 その門の前にいつも、おじちゃんが座ってたんですね。路上生活の方でしたけど、 その人に始めて話しかけたときのことは、たぶん忘れられない思い出ですね。 まあ、それはいいんですけど。 それから時々、声をかけたりちょっと差し入れしたりして、 結構大通りに面していた所だったから、人もいっぱい通るんだけど 隣に座って、歩いていく人たちを見てると なんか不思議な感じでした。 あれって地面に座ってるから、見上げてる感じなんですよね~
あのーでもべつにすごく良いコトをしてるとかじゃ無くてね、 誰かと一緒にいる時は話しかけなかったり、ほんとに時々で、短い期間でした。
で、なんだったかなー じゃあまたね。ていうときに普通に手に触ろっかな、と思ったの、 でも 嫌がられるんじゃないかって、なんか嫌な想いさせてしまうんじゃないかって、、 ぐるぐるして、けっきょく触らなかった。
修道院に来てからかな、なにかでマザーテレサの言葉を聞いたんですね 街をまわって、貧しい人たち、病気の人たちのところに行く、会のシスター達への言葉、 はっきりと覚えてるわけじゃないので、ニュアンスなんですが; その人たちのところに行ったら、必ずその人に少し触れなさい。って… (あと2つくらい何かあったような気がするけど、思い出せない)
これ聞いたとき、あぁ~…って (笑; あの手に 触れることができたらなー と今でも思うんですよね。
今はパンデミックで、きっとシスター達も簡単に触れることは出来なくなっているでしょう。 そんな中で、どう同じようなことを伝えていけるだろうか?
どこで読んだかな、新聞だったか… 駅のアナウンスで、駅員の人たち、係の人たち、みんなマスクですけれど、 マスクの下はみんな笑顔で対応しています。というのを聞いてほっとした。 というのをなんだか思い出しました。
イエズスを与えることって、イエズスを運ぶこと? 私たちの中のイエズスの心、どうやって伝えていったらいいんだろう? 差しだす人、受け取る人、どっちも必要だし、 自分もどちらか一方ではないんだということ、考えてゆきたいなあ。