心残り

2020年11月17日

今日は聖エリザベト修道女の記念日でした。                        神父さまのお話しで、なんだか王女さまというイメージがすごく残った気がするんですが    すごく苦労した 王女さま、ね。(笑)                      

24歳で亡くなったと、若いな~                              御主人を亡くしてから、貧しい人や病気の人のために財産を全て使って、           またその人たちのお世話を自分でもされた。と

うーん、とですね、私が一時期通っていた教会があって、                  その門の前にいつも、おじちゃんが座ってたんですね。路上生活の方でしたけど、       その人に始めて話しかけたときのことは、たぶん忘れられない思い出ですね。         まあ、それはいいんですけど。                              それから時々、声をかけたりちょっと差し入れしたりして、                 結構大通りに面していた所だったから、人もいっぱい通るんだけど              隣に座って、歩いていく人たちを見てると なんか不思議な感じでした。           あれって地面に座ってるから、見上げてる感じなんですよね~

あのーでもべつにすごく良いコトをしてるとかじゃ無くてね、                誰かと一緒にいる時は話しかけなかったり、ほんとに時々で、短い期間でした。

で、なんだったかなー じゃあまたね。ていうときに普通に手に触ろっかな、と思ったの、   でも 嫌がられるんじゃないかって、なんか嫌な想いさせてしまうんじゃないかって、、    ぐるぐるして、けっきょく触らなかった。                         

修道院に来てからかな、なにかでマザーテレサの言葉を聞いたんですね            街をまわって、貧しい人たち、病気の人たちのところに行く、会のシスター達への言葉、    はっきりと覚えてるわけじゃないので、ニュアンスなんですが;               その人たちのところに行ったら、必ずその人に少し触れなさい。って…            (あと2つくらい何かあったような気がするけど、思い出せない)

これ聞いたとき、あぁ~…って (笑;                           あの手に 触れることができたらなー と今でも思うんですよね。

今はパンデミックで、きっとシスター達も簡単に触れることは出来なくなっているでしょう。  そんな中で、どう同じようなことを伝えていけるだろうか?

どこで読んだかな、新聞だったか…                            駅のアナウンスで、駅員の人たち、係の人たち、みんなマスクですけれど、          マスクの下はみんな笑顔で対応しています。というのを聞いてほっとした。          というのをなんだか思い出しました。

イエズスを与えることって、イエズスを運ぶこと?                     私たちの中のイエズスの心、どうやって伝えていったらいいんだろう?            差しだす人、受け取る人、どっちも必要だし、                       自分もどちらか一方ではないんだということ、考えてゆきたいなあ。


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