復活節から年間へ

神の愛の歴史は、復活祭で終わるわけではありません。 それは聖霊降臨まで続き、聖霊の注ぎは世の終わりまで 「キリスト・イエスにおいて現れた神の愛」を現存させ、働かせるのです。
「わたしの愛にとどまりなさい」とイエスは言われました。 そしてヨハネは こう付け加えます 「神は私たちにご自分の霊を分け与えてくださいました。このことから 私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまってくださることがわかります」
私たちは、過去のこととしての 神の愛の記憶だけに頼って 生きることを強いられることは ありません。 「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
聖霊降臨の前の私たちの黙想で、指導してくださった神父さまから頂いた 資料のなかにあった、ラ二エロ・カンタラメッサ神父さまの言葉でした。
聖霊降臨とはいったいなんだろうか、と考えて 今でもまだ ちょっと巡らし中ですが、、
ただいきなり聖霊が注がれたわけじゃなく、 御受難、御死去、ご復活・・・いや それよりもっと前、お告げ、ご降誕… 「神の愛の歴史」のなかで、ずっと繋がっていることなのだ、と。
それで、聖霊降臨で終わりでもない。 使徒たちの働きとしては、はじまりの時なんじゃないかな
長い季節のときから、年間へと入っていく今 私の心には何があるのかな 私の推進力とはなんなのかな それによって、進んでいくことができますように。