復活の8日間
冬の間に葉っぱが全部落ちてしまって、 植木鉢に3本の棒がささってる?みたいになっていた うちのウンベラータに新芽が! というかもう若葉ですね~
そして今はツツジが満開! 黄色い花はなんだろう? ヨセフ様といっしょに、パチリ。 こうしてお花を活けてくださるシスターがいらっしゃるので あ、今はこの花の季節なんだなぁ。と気付く、という…;
そうして思うと、いつも花を活けるような生活?をしている人と、 私のような人が見ている世界は、きっとどこか少し違うのだろうな、と。 どっちが「良い」とかでなくて、一人ひとりの見ている世界は きっとみんな違う。それってすごいな~ と思うのです。
さて、もう復活後の8日間も終わりを迎えようとしていますが、 この8日間の福音を読みながら、 ご復活の日中のミサ かな? で言われたことが、いつもどこかにあったような気がします。
復活 = 証しとなる、証しをする ことなのだ、と。
最初のほうでは、ご復活なのにイエスはみつからない。 復活ってイエスに会うことじゃないんだ… そして、イエスに会ってからのその人たちを見ていると みんな同じことをしているみたい。 イエスに会ったことを、伝えに行く。ということ
なんとなく、私にとって復活という出来事はなんなのか。と考えました。 イエスに会うこと、ではない。と思ったけれど でもやっぱりイエスに会わなければ、伝えることはできない… イエスが見つからなかったのは、死んだイエスを、 墓に遺体を探しに行ったからなのかもしれない。
それに、イエスに会うとき いつもイエスのほうから来てくださっている! 復活したイエスに会い、触れ、声を聞き、、 私はどうやって、なにをもって それを伝えようとしているだろうか?