復活の8日間

2022年04月23日

冬の間に葉っぱが全部落ちてしまって、                                       植木鉢に3本の棒がささってる?みたいになっていた                                     うちのウンベラータに新芽が! というかもう若葉ですね~                               

そして今はツツジが満開!                                               黄色い花はなんだろう? ヨセフ様といっしょに、パチリ。                                こうしてお花を活けてくださるシスターがいらっしゃるので                               あ、今はこの花の季節なんだなぁ。と気付く、という…;

そうして思うと、いつも花を活けるような生活?をしている人と、                           私のような人が見ている世界は、きっとどこか少し違うのだろうな、と。                        どっちが「良い」とかでなくて、一人ひとりの見ている世界は                              きっとみんな違う。それってすごいな~ と思うのです。


さて、もう復活後の8日間も終わりを迎えようとしていますが、                              この8日間の福音を読みながら、                                            ご復活の日中のミサ かな? で言われたことが、いつもどこかにあったような気がします。

復活 = 証しとなる、証しをする                                            ことなのだ、と。

最初のほうでは、ご復活なのにイエスはみつからない。                                復活ってイエスに会うことじゃないんだ…                                    そして、イエスに会ってからのその人たちを見ていると                                  みんな同じことをしているみたい。                                             イエスに会ったことを、伝えに行く。ということ

なんとなく、私にとって復活という出来事はなんなのか。と考えました。                             イエスに会うこと、ではない。と思ったけれど                                      でもやっぱりイエスに会わなければ、伝えることはできない…                               イエスが見つからなかったのは、死んだイエスを、                                墓に遺体を探しに行ったからなのかもしれない。

それに、イエスに会うとき いつもイエスのほうから来てくださっている!                          復活したイエスに会い、触れ、声を聞き、、                                    私はどうやって、なにをもって それを伝えようとしているだろうか?


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