床を担いで

2022年06月30日

お庭にネジバナが咲いているよ~。と シスターに教えて頂き                                              庭に出てみると、ほんとだ!たくさん咲いてる!                                    小さな花なので、遠くから眺めただけでは見過ごしてしまうけれど、                          近づいて見ると、ちっちゃな鐘のかたちの花なんですね。                             暑い日差しの中、すずやかな音色が聞こえてきそう

ネジバナって「捩花」と書くんですね~                                     なんか勝手なイメージでは「螺花」だと思ってました。螺旋のイメージ?                          「捩」だと、捩れる という感じかなぁ。


今日の福音マタイ9・1-8 中風の人をいやす                                    あの 屋根はがして中風の人を床ごと吊りおろす。というのが有名だと思いますが、                     マタイでは天井からとは特に書いて無いんですね。

マルコとルカの箇所もちょっと見てみたのですが、                                    どれでも、イエスは連れてこられた中風の人に                                  「あなたの罪は赦される(た)」というのだけど、                                    マタイでだけ、その前にひとこと付け加えられています。                              『元気をだしなさい』と。

あ、このひと元気なくしてたんだ、と。                                       元気って、もちろん中風なのだから健康ではないのだけれど、                              じゃあ、なんだろう。                                              生きる気力みたいなものかもしれない。

イエスはその人自身じゃなくて、連れてきた人たちの信仰を見て 言われた。                        どうしてイエスのところに連れてこようと思ったのかな。                                中風の人が、どうしても連れてってくれ。と言ったようには、なんとなく感じないかなぁ。

これまで生きてきた中で、                                           イエスのところへ連れて行ってくれた、イエスに出会わせてくれた                            そんな人たちのことを考えてみる…

床ごと、というのも何か印象にのこる。                                        病気で、元気も無くて、起き上がることのできない  離れることのできない、床。                        私にとっての「床」とは何だろうか…                               

それでも その床ごと、そのまんまでイエスのところに行くことができる。                         自分で、でなく。                                                  床を担いで帰って行ったこの人は、また誰かにとっての                                  自分を連れて行ってくれた人たちのようになったのかな。


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