床を担いで
お庭にネジバナが咲いているよ~。と シスターに教えて頂き 庭に出てみると、ほんとだ!たくさん咲いてる! 小さな花なので、遠くから眺めただけでは見過ごしてしまうけれど、 近づいて見ると、ちっちゃな鐘のかたちの花なんですね。 暑い日差しの中、すずやかな音色が聞こえてきそう
ネジバナって「捩花」と書くんですね~ なんか勝手なイメージでは「螺花」だと思ってました。螺旋のイメージ? 「捩」だと、捩れる という感じかなぁ。
今日の福音マタイ9・1-8 中風の人をいやす あの 屋根はがして中風の人を床ごと吊りおろす。というのが有名だと思いますが、 マタイでは天井からとは特に書いて無いんですね。
マルコとルカの箇所もちょっと見てみたのですが、 どれでも、イエスは連れてこられた中風の人に 「あなたの罪は赦される(た)」というのだけど、 マタイでだけ、その前にひとこと付け加えられています。 『元気をだしなさい』と。
あ、このひと元気なくしてたんだ、と。 元気って、もちろん中風なのだから健康ではないのだけれど、 じゃあ、なんだろう。 生きる気力みたいなものかもしれない。
イエスはその人自身じゃなくて、連れてきた人たちの信仰を見て 言われた。 どうしてイエスのところに連れてこようと思ったのかな。 中風の人が、どうしても連れてってくれ。と言ったようには、なんとなく感じないかなぁ。
これまで生きてきた中で、 イエスのところへ連れて行ってくれた、イエスに出会わせてくれた そんな人たちのことを考えてみる…
床ごと、というのも何か印象にのこる。 病気で、元気も無くて、起き上がることのできない 離れることのできない、床。 私にとっての「床」とは何だろうか…
それでも その床ごと、そのまんまでイエスのところに行くことができる。 自分で、でなく。 床を担いで帰って行ったこの人は、また誰かにとっての 自分を連れて行ってくれた人たちのようになったのかな。