希望の聖母

2021年07月09日

今日は御受難会固有の記念日、希望の母 聖マリア をお祝いしました。                      福音はルカの「カナの婚礼」、                                          マリア、そこにいた。                                               ー 召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。ー という所が好きなのですが、                        これはマリア様の言葉が無ければ、されなかったことなんだ、と。                          召し使いたちの行いは、マリアの心の現れ、                                       イエズスの「わたしとどんなかかわりがあるのか」という言葉に、                           すべて、あなたの出来事です。とゆだねられた。                                             

第一朗読はシラ書で、とてもきれいでした。

エン・ゲディのしゅろのように、エリコのばら、野にある見事なオリーブの木、                   すずかけの木のように わたしは大きく育った。                                     肉桂や、アスパラトの木のように、                                         最上の没薬のように、わたしは良い香りを漂わせた。                               ヘルベナ香、シェヘレト香、ナタフ香のように、                                     また、幕屋に立ちこめる乳香の香りのように。                                     わたしはテレビンの木のように枝を広げた、壮大で優美な枝を。

「主に支えられて常に雄々しくあれ。                                          主に寄りすがって離れるな、主は力を与えてくださる。                                   主は全能で唯一の神。                                                   主のほかに救い主はない。」   (シラ24から~)

神父様の言われたように、昨日のとぴったりきました。                                 タダで頂いたもの=たまもの=イエズスをいただいた

マリア様の受胎告知の、天使の言葉を思い出しました。                                   「おめでとう、恵まれたかた。 主があなたと共におられる」                                 恵みとは イエズスが共におられる、ということ。

なぜ、『希望』の聖母で、このカナの箇所なんだろう。                               水がぶどう酒に、信頼が希望に変わる                                       私たちを潤し、力付ける 良いぶどう酒に。

ぶどう酒がなければ、宴は悲しみ 失望のうちに終わってしまう…                            ゆだねきったとき、私の時 から「あなたの時」となる。                                 のかな、とそんなことを考えつつ…

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