希望の聖母
今日は御受難会固有の記念日、希望の母 聖マリア をお祝いしました。 福音はルカの「カナの婚礼」、 マリアが、そこにいた。 ー 召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。ー という所が好きなのですが、 これはマリア様の言葉が無ければ、されなかったことなんだ、と。 召し使いたちの行いは、マリアの心の現れ、 イエズスの「わたしとどんなかかわりがあるのか」という言葉に、 すべて、あなたの出来事です。とゆだねられた。
第一朗読はシラ書で、とてもきれいでした。
エン・ゲディのしゅろのように、エリコのばら、野にある見事なオリーブの木、 すずかけの木のように わたしは大きく育った。 肉桂や、アスパラトの木のように、 最上の没薬のように、わたしは良い香りを漂わせた。 ヘルベナ香、シェヘレト香、ナタフ香のように、 また、幕屋に立ちこめる乳香の香りのように。 わたしはテレビンの木のように枝を広げた、壮大で優美な枝を。
「主に支えられて常に雄々しくあれ。 主に寄りすがって離れるな、主は力を与えてくださる。 主は全能で唯一の神。 主のほかに救い主はない。」 (シラ24から~)
神父様の言われたように、昨日のとぴったりきました。 タダで頂いたもの=たまもの=イエズスをいただいた
マリア様の受胎告知の、天使の言葉を思い出しました。 「おめでとう、恵まれたかた。 主があなたと共におられる」 恵みとは イエズスが共におられる、ということ。
なぜ、『希望』の聖母で、このカナの箇所なんだろう。 水がぶどう酒に、信頼が希望に変わる 私たちを潤し、力付ける 良いぶどう酒に。
ぶどう酒がなければ、宴は悲しみ 失望のうちに終わってしまう… ゆだねきったとき、私の時 から「あなたの時」となる。 のかな、とそんなことを考えつつ…