希望の母 聖マリア

7月9日は御受難会の固有のお祝い日 「希望の母 聖マリア」 ( Mary, Mother of Holy Hope ) でしたが、ごミサにて 神父さまのお話しの初っ端から 御受難会では修室に希望の母マリアの御絵を置くのが昔からの習慣です ー… と聞き、「え、そうなの~;」となったのは私だけだったのだろうか… 日本の女子御受難会の守護の聖人は、「悲しみの聖母」なので その御絵は、修室にあるのだけれど… どうなんだろう、ちょっと聞くのはコワい(笑;)
ちなみにフィリピンの女子御受難会は「希望の聖母」が守護聖人なので、 きっと大きなお祝い日だったことでしょう。
で、固有のミサ朗読箇所もあり、福音はルカの《カナの婚宴》のところ。 どうしてこの箇所なのだろうなーと思いながら、 少しいつもと違う視点から眺められたような気がします。
婚宴でぶどう酒が足りなくなったなんて、相当マズイ事態です。 幸せな二人の最初のもてなし、お披露目、最初が肝心!なのに、 これ絶対ずーっと言われ続けますよね。 「あの二人の結婚式はぶどう酒足りなくなってさ~」って
それを知ったマリア様は、 こんなことになってるんですって、どうなるのかしら。とか どうしましょ。とみんなに話すとか、相談するとかはしません。
「ぶどう酒が なくなりました」 この一言。 イエスさまに向かって、イエスさまだけに向かって 言う。 これはアナタの責任です。と言わんばかりの迫力がある。 アナタがここにいるのだから。と
イエスさまの答えとかいろいろ解釈はあるけれど、 なんていうか もう、そこにイエスがいることが〈希望〉なのか と思いました。
そして、私に起こる出来事の中で イエスが関係のないことなど 何も無い。 という確信をもって、恐れずにイエスに向かって言うことができるように、 マリア様は教えて下さっているのかもしれませんね。