希望の年に
昨日くらいから、めちゃくちゃ寒くなりましたね。 やっぱり12月はまだ真冬じゃなかったんだ… と あらためて認識いたしました。 風邪とか仕事始めとか、いろいろありますが 皆さまの心身の健康をお祈りしています。
今日の福音ルカ4・14-21 の中で読まれたイザヤの書
「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。」
恵みの年、ヨエルの年のことだな~、と 始まったばかりの2025年の聖年のことを思い出し で、ヨエルの年ってどんなときだったかしら、、と 聖書をめくり、めくり… なんかいろいろ省いてますが、こう書いてありました。
(レビ記25・10 ) この50年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。 それがヨベルの年である。あなたたちは おのおの その先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。
引用ばかりで申し訳ないのですが、 教皇フランシスコの聖年の勅書「希望は欺かない」から
すべての人は希望を抱きます。 明日は何が起こるか分からないとはいえ、 希望はよいものへの願望と期待として、 一人ひとりの心の中に宿っています。 けれども将来が予測できないことから、 相反する思いを抱くこともあります。 信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ ―。
― 聖年がすべての人にとって、 希望を取り戻す機会となりますように。
「聖年」というのが、どういうものなのか 実はあんまりピンとこない… なんて言うとよろしくないのかもしれませんが;
私が 捕らわれている ことを、 目が見えていない ということを 自由 でないことを、気付かせるときなのかも
そして、帰るべきところはどこなのか もう残り少ないこの降誕節に、 馬小屋を 飼い葉桶におられるイエスを見つめながら 思い巡らせています。