家族の食卓

2021年07月20日

夏到来 から、ほんとにバリっとカレンダー1枚破り取るみたいに「夏」ですね。                        何故にただ気温が高いというだけで、こう体力も消耗するのだろうか…                          


ええと、今週は福音も第一朗読も継続で、                                          ここ数日ちょっと思ったこととか前後しながら                                    いつものようにゴチャゴチャいきますよ~

今日の福音(マタイ12・46-50)で、イエスは言われます。                               「わたしの母とは誰か。わたしの兄弟とは誰か。」                                  「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。                                     だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

第一朗読では出エジプトが読まれていて、                                       ちょっと前のところで(ちゃんと調べたら先週でした;)                                  エジプトから導き出されたのは、イスラエルの人々なんですけれど                                    ーそのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。ー                                   と言われているのに おや?と思いました。(なんか、ひどい言われようですが (笑)

この人たちもイスラエルの人々と同じように苦しんでいたのかな?                         神さまが同じように、深く憐れまれたのかな、と。

今週の主日(マルコ6・30-34)                                         イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみー・・・                  神父さまのお話しの中で、                                             イエスの憐み=神の憐み                                            憐み=スプランクニゾマイ … お腹の底から、理屈によらない共感。                         と言われていたのを思い出しました。

そこに集まった人たち「わたしの母、わたしの兄弟」と言われた人たちは、                       イエスが深く憐れまれた、心の底からの共感を示された人たちなんだ。

これも先週なんですが、                                             私たちの甘い期待や、都合の良い解釈を イエスはひっくり返される、と                        ちゃぶ台をひっくり返すように。と言われたのが すごい好きでした。                       いや、最後の晩餐のシーンが ちゃぶ台を囲むイエズスと弟子たちで浮かんできて(笑)

でも、ああ そうだなー その同じ食卓(ちゃぶ台)についている家族だけが                      ひっくり返されるのを目の当たりにすることができる。                             衝撃を受けることができる。のかな、と

御心を行う人って難しいことのように考えていたけれど、                             もしかしたら、イエズスと御父と 同じ食卓につく、つこうとすることなのかもしれないなぁ。。                  なんてそれこそ都合の良い解釈なのか も…?

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