壊されていくこと

2023年08月28日

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。                       人々の前で天の国を閉ざすからだ。                                      自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。


キッツイ言葉だなぁ、と思う。                                                今日の福音、マタイ23・13-22  冒頭の言葉。                                       どうしてそう思うかというと、自分がそうじゃないとは言い切れないから。

自分がこうして発している言葉や行動、                                           「良い」と思っていることが、誰かのつまずきとなったり                                  遠ざけてしまうことになっているかもしれない…

続けて福音を読んでみると、、


ものの見えない者たち、供え物と、                                            供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。祭壇にかけて誓う者は、                       祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。                                神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。                         天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ 


自分がしていること、しようとしていること、                                         その本質…うーん?                                               真ん中にあるのは何なのか。


ちょうど目にした 十字架の聖パウロの言葉がありました。

『  あなたのあらゆる計画が、良い計画でさえも、                                壊されていくのを見ることを愛しなさい。                                   なぜなら、神が、あなたに、                                          計画を完全に実行させてくださるときがあるからです。』 


驚きと、なにか嬉しさが なにか沁みこんでゆくような…

もちろんこういう言葉を聞いて、ああ そうだな と、心動かされる。                                だけど、すぐにそうできるワケじゃなくて、                                          実際は心の奥で せめぎ合ってる。自分の気持ちと。

でも そうして噛みしめて、ゆっくりゆっくり味わって、                                   受け入れて、かわってゆけたら いいと思う。

壊れたあとに のこるものはなんなんだろう                                           

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう