四旬節 第五主日

2025年04月06日

四旬節、第五主日。                                                   今日の福音はヨハネ8・1-11                                             

この箇所がテーマになっていた、いつくしみの特別聖年(2017)                             に出された教皇フランシスコの使徒的書簡には                                   こんな言葉がありました。


この福音の物語は、しかし、                                          罪と裁きが抽象的な形で出会うものではなく、                                    罪人と彼女の救い主の物語です。                                        イエスはその女の目を見つめ、彼女の心を読み取ります。                             そこに、理解され、ゆるされ、自由にされたいという願望があります。                         罪による惨めさは、愛のいつくしみによって覆われました。                              イエスからの唯一の裁きは、                                          この罪人の境遇へのいつくしみと同情に満ちたものでした。                                彼女への裁きと死刑を望んだ者たちには、                                    イエスは長い沈黙をもってこたえます。                                        彼の目的は、神の声をその女性だけでなく、                                     彼女を糾弾する者たち、石を捨てて一人、また一人と                              その場から立ち去った者たちの良心に                                     聞こえるようにすることでした(ヨハネ8・9参照)。                               それからイエスはいいます。                                         「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。                                    だれもあなたを罪に定めなかったのか。                                      ……わたしもあなたを罪に定めない。                                      行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」                              (同10―11節)。


今まで気づかなかったけれど、                                          初めてこの場面の静けさ、を意識しました。                                    

女性を糾弾していた人たちが、                                          その静けさ、沈黙の中で聞いたこと、受けたこと

罪によって殺されるはずだった女性が感じた、その静けさ。                                              最後にイエスと ただ二人、その場にいること


その静けさを感じとることが できるだろうか。


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