六月は イエスのみこころの月

6月になりまして、 梅雨に入っている地域のかたも そうでないかたも、 宝塚らへんがどうなのか、まだよく分かってないんですけれど (笑; なんだか暑くなったり、ちょっと冷えたりで 体調気を付けてゆきたいですね。
6月 イエスのみこころの月 聖心で「みこころ」と読むのですけど どうも書くときは平仮名で書きたい。と思ってしまう
『槍で刺し貫かれた脇腹』の内に 神の限りない救いのみ旨が輝いています。 ですから、この脇腹を仰ぎ見ること(み心の信心)を、 過去の礼拝ないし信心の形と考えてはなりません。 刺し貫かれた心という象徴に 歴史的な信心の表現を見いだした神の愛の礼拝は、 神との生きた関係にとって不可欠なものであり続けます」 (教皇ベネディクト16世)
とはカトリック中央協議会のページ参照です。
教皇フランシスコが、 祖母から習った古い祈り、というのを教えて下さっていて
『 イエスよ わたしの心を あなたの聖心に似たものにしてください』
とても素直というか、まっすぐというか きれいな祈りと感じます。
イエスのみこころに似る とはどういうことなのか。 刺し貫かれた脇腹、刺し貫かれた心を仰ぐとき そこに何があるのか、そこに何を見るのか。 その みこころと、私のこころが似たものになる、とは…