光栄ある 御傷

2023年04月20日

その日、すなわち週の初めの日の夕方、                                      弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。                       そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、                                      「あなたがたに平和があるように」と言われた。                                          そう言って、手とわき腹とをお見せになった。(ヨハネ20・19-20) 


復活節 第2金曜日は、                                              御受難会の固有の祝日「主イエス・キリストの光栄ある御傷」です。

今日の福音箇所は、この前の 神の慈しみの主日に読まれた                               イエスがトマスに現れるところです。                                           上に載せたのは、今日は読まれない前半の トマスがいなかったときの所ですが                        「神のいつくしみ」と「イエスの御傷」                                      重ね合わせて見ることができる、と思いました。

イエスが現れたことを絶対に信じない。と言うトマスに、                                  イエスはどうするのだろう、と思ったら                                         弟子たちに現れたときと、まったく同じことを繰り返される。

イエスの恵みは、ただ一度きり                                             それを逃せば もう受けることができないものじゃない                               何度でも 来て、示してくださる。

そのために御傷は ふさがらず、消えることもない                                      傷があれば、痛みもあるだろうに…

その傷に触れることも許してくださる、それは トマスの恵み。                                私たちは目で見て、触れることはないけれど、                                    十字架を仰ぎ、その傷が いつも開かれていることを 知っている、                           腕をひろげ、示して下さっていることを、                                        それは 私たちの恵み。


救いの源である神よ、                                                  復活された主イエスのからだに 五つの御傷が残されました。                                 その傷によっていやされた私たちが、                                            いつも感謝をもって  御子の受難に与り、                                         新しい復活のいのちに 立ち上がることができますように

(「主イエスの光栄ある御傷」結びの祈願より)                                      

                                        

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