光はどこに、光はだれと?

2021年03月18日

もう四旬節も4週目。                                    主日に読まれた福音(ヨハネ3・16-21)

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

入門講座に行っていた頃、その神父さまがよく言っていたことを思い出した。                「神さまは、ただ ひとりさえ失うことを 望まれない」                              ほんとによく言ってらしたけれど、(笑)                            その声や、目や、表情とか、、                              あ、また言うな。と思っても、何度でも聞きたかった。                             何度も聞いているのに、いつも少しの驚きがあって、そして うれしかった。

光のほうに行かないのは、自分の行いが明かるみに出されるのを恐れているから。                明るみ、ってなんだろう。                                 明るみが、人の目だと思うなら、それは確かに嫌だろうなぁ。                   明るみは、ひかり、世に来た光。と思うなら                        神さまの目には知られていないことなんてあるんだろうか?                     恐れることはないんだと、十字架のイエズスを見上げて思う。

それでも、恐れはあるけれど、それをこえて信頼になるように                      光のほうに、一歩踏み出す。その勇気をくれる言葉を、いつも思い出したい。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 


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