何回 赦す?
今日の福音、マタイ18・21~19.1
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
から 天の国のたとえを話される、まぁとても有名な箇所。 だけど、赦すってどういうことなんだろう。と、ちょっと ひっかかった。 たとえの最後のほうに主君が言うように
『 … わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
自分もその人の借金、負い目?を帳消しに(無かったように?) することが、そうなのかな。 いや、たぶんもうそのまま そのとおりなんでしょうけど;
今日のごミサでのお話しで、 「どうか待ってください」= 寛容さを示してください (憐みによって) という意味でもある。と言われていました。
この主君に借金してる家来も、家来に借金している仲間も同じことを言います
『どうか待ってください。きっと全部お返しします。』
特に家来の借金はありえないくらいの額なんですよね。 だから、この言葉はいったいどういうつもりで言っているんだろう。と思っていました。 自分は返せるって本当に思っているんだろうか、 それとも口先だけなのか?
でも、なんか「寛容さをしめしてください」という言葉を聞きながら、 返せないのを本当はわかってるんだけど、 返したいと思ってないわけじゃないんだ、と そんなふうに感じました。
うーん、だから赦しって 自分と神さまの関係を思い起こさせるときなのかもしれない。 もしそうなら「七回どころか七の七十倍」どころじゃないなぁ…