五つのパンと二匹のさかな

2021年07月26日

最近いつにもましてペースの遅い更新となっておりますが、                               私の気合いがたりないんだろ!というのはごもっとも;                                 あと、なんだかちょっとパソコさんの調子がわるいときがあって                            どうにも繋がってくれないんですよね~                                         これはアレですか、毒にも薬にもならないんだから やめておけ。という                           メッセージなのか?などと思いつつ…                                           どうぞ気長に、忘れたころに覗いてみようかくらいで                                  待って(いるような人がいるとも思えませんが!)いただけると嬉しいです。


昨日の主日の福音(ヨハネ6・1-15)                                       少年がもってきたパンと魚で5千人に食べ物を与える。という箇所でしたね                          ここを読むといつも思い出す歌があるんですけれど、みなさんご存知でしょうか                       修道院では使ってないのですが、                                            この感じの歌は 教会学校時代に刷り込まれたかなーと思いますね                              うちの教会、なんの本使ってたんだろ? こころをあわせて とかだったかな⁇                      ぜんぜん覚えていない…;                                                 今使ってはいないけれど、載っている本はあったので ご紹介。

「五つのパン」                                                     五つのパンと 二匹のさかな ひとりの少年 ささげました                                 イエスさまそれを みんなに分けて 5000のひとが 満たされました

ささげるものは 少なくっても イエスさまの み手にお渡しすれば                          そのまごころは 祝福されて 多くのひとが 満たされるでしょう

ほんの少しの お返しですが 感謝とともに おささげします                              かぞえきれない おめぐみいっぱい イエスさまいつも いつも ありがとう

なつかしい と思う方もいらっしゃるといいなぁ                                    

この少年はどうしてパンと魚をもってきたのかな。                                  イエズスと弟子たちに持ってきたのかもしれない。                                  のに、何だか分からないけど「なんの役にも立たない」と言われてどう思っただろう。                   

ところで、イエズスは自分がなにをしようとしてるか知っていた、と                        少年が持ってくるのを待っていた?                                       イエズスはしようとしていることをわかっていたけど、                               少年が持ってきてくれなければ、実現はしなかった のかな

役にたたないと言われたけれど、それでもイエスさまは受け取ってくださって                         そして起こった出来事を、見ていた少年は何を思っただろう。                              その少年のような目や、心をもっていたいな と思う。

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