主よ、みこころ ならば

2022年01月07日

今日の福音 ルカ5・12-16 で、                                             イエスは救われた人に「証明しなさい」と言われます。                                  しかし、だれにも話さずに。

イエスは何を証明するよう言われているのだろう                                      救われた、皮膚病であった人は「主よ、御心ならば」と願います。                            イエスの み心とは、何だろうか

神父さまのお話しのなかで、                                            証明という言葉はギリシャ語で 殉教 の意味もあります。と、                             そして、イエスの殉教という言葉が印象に残りました。

今日の第一朗読 ヨハネの手紙1、5・6-12 には                                   「証し」という言葉がたくさん出てきます。                                       福音の「証明」とギリシャ語で同じ言葉かは、わからないですが                            その中からちょっと抜粋、

ー 神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです…                            ー その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、                                      そして、この命が御子のうちにあるということです…

少し前、ご公現の祭日だったかな                                        シスターが分かち合いをして下さったときの言葉を思い出しました。                           はっきり覚えているわけではないので、間違っているかもしれませんが;

『私たちの行き着くところは、十字架のイエスです。                                    十字架 それは栄光、栄光それは 神そのもの、そして 神は 愛 …』

殉教というのは、命をもって証しすること。                                   イエスが 殉教によって証ししたもの、その命によって現したものは 何だったのか

イエスの言葉に耳を傾けながら、今日過ごしていくことができますように。

                          

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