主よ、みこころ ならば
今日の福音 ルカ5・12-16 で、 イエスは救われた人に「証明しなさい」と言われます。 しかし、だれにも話さずに。
イエスは何を証明するよう言われているのだろう 救われた、皮膚病であった人は「主よ、御心ならば」と願います。 イエスの み心とは、何だろうか
神父さまのお話しのなかで、 証明という言葉はギリシャ語で 殉教 の意味もあります。と、 そして、イエスの殉教という言葉が印象に残りました。
今日の第一朗読 ヨハネの手紙1、5・6-12 には 「証し」という言葉がたくさん出てきます。 福音の「証明」とギリシャ語で同じ言葉かは、わからないですが その中からちょっと抜粋、
ー 神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです… ー その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、 そして、この命が御子のうちにあるということです…
少し前、ご公現の祭日だったかな シスターが分かち合いをして下さったときの言葉を思い出しました。 はっきり覚えているわけではないので、間違っているかもしれませんが;
『私たちの行き着くところは、十字架のイエスです。 十字架 それは栄光、栄光それは 神そのもの、そして 神は 愛 …』
殉教というのは、命をもって証しすること。 イエスが 殉教によって証ししたもの、その命によって現したものは 何だったのか
イエスの言葉に耳を傾けながら、今日過ごしていくことができますように。