主の昇天
主の昇天の出来事について、いろいろ考えていましたが、 ㇷと気付いたんです、私の頭の中のイメージは ご変容の場面になっている、と。 いやいや、変容じゃなくて 昇天の場面ー… は、どうもうまく浮かばず。。 それならば!と、一回 ご変容の箇所を読むことにしました。
読んでみると、この ご変容 と ご昇天、違いは何だろう?と思いました。 ペトロは仮小屋を作ろうと言って、イエズスを留めようとしているよう… それに、弟子たちは とても恐れている。
今日のマルコの福音では、こう書かれています。 [イエスは弟子たちに話した後、天にあげられ、神の右の座に着かれた。 一方 弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教したー]
おや、と思ったのは「一方 弟子たちは…」というところ。 イエズスが右の座に着かれた、その同じときに弟子たちは出かけて行っているようです。 何も恐れていないようです、 イエズスが離れてゆくことも ……
何が弟子たちを変えたのだろう? ご変容のとき、弟子たちはイエズスの言われた言葉 「死者の中からの復活」とはどういうことか、と論じますが、 まさに、イエズスの死と復活の体験が あったのだ、と思いました。
今年はちょうど当番で、毎日の読書を この一週間 読んできましたが、 復活の後の40日というのは、すごい期間なのだ と感じました。
ご変容は、数人の使徒だけの出来事ですが、 復活の後、イエズスは全ての弟子たちに現れます。 イエズスの言われたこと、行われたこと、その姿そのものも、 恐れを除き、目を開かせ、心を燃えたたせ、 新たな いのち に生きるように私たちを変えてゆく 出来事です。
そして、福音の最後には「天に上げられた後も、イエスは弟子たちと共に働きー…」と言われています。 イエズスは天に上げられました。おわり。でなくて、 イエズスの出来事はずっと続いてゆくのだ、と それは 一人ひとりに与えられた、なんだろう 賜物?のうちになのかもしれません。