中秋の名月。

ちょうど今、中秋の名月 観てきました。 まだ低いですけれど、夜空があかるく照らし出されています。 初めて知ったのですが、中秋の名月=満月ではないんですね! 今年は8年ぶり?の満月だそうで、へぇ~…と思いながら、 まあ、ちょっと前に「中秋の名月って9月だっけ、10月だっけ⁇」 とか言ってたくらいのものなので(笑;
今日は聖マタイ使徒 の祝日でしたね。 マタイの召命の箇所を読んでいましたが、(マタイ9・9-13) 今日はなぜか、ファリサイ派の人たちの問いかけが心に留まりました。
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
弟子たちは この質問に答えられなかったから、イエスに聞きに行ったんだろうけど 弟子たち自身の疑問でもあったのかもしれないな、と。 だからイエスの答えは弟子たちに対してされている と思う。
ー わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。ー
もし、自分は罪人ではない と思うなら イエスに招かれることも起らない イエスとともに食事をすることも、無いのかな
神父さまのお話しの中に、徴税人・罪人から思い起こされるのは闇のイメージ 闇から光へ、罪のゆるし 罪からの解放 というようなことがありました。
罪からの解放 とはなんだろうか。 第二朗読(エフェソ4・1-7、11-13) 「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」 一人ひとりに与えられる賜物 と何か関係があるのかなぁ… 一人ひとり招かれている、役割とかはよくわからないけれど、 ひとつの希望にあずかるようにと、そんな想いが込められているのかもしれない。