一粒の種

2022年09月17日
ときどき、みことばや賛歌の言葉に

あ、これ今の私の ことだ。と気付かされる時がある。

自覚するほどでは無かったり、見ないようにしてたりする思いだったりする。
だから、すごい大きなというより .くすぶっていたような
そんな思い。 

恐れ とか、不安 とか、あるのはあたり前でフツウのこと。
それがあるから、 助けを願うことができるし
ゆだねることができるように 、と祈ることができるのだ。と思う

今日の福音、ルカ6・43-49は
種がいろんなところに落ちて、実を結んだり

 良くないものとか鳥に食べられたり

陽にやけて枯れちゃったり、なお話しでした。
昔ある神父さまが言われたことが記憶に残っています。

 自分の心の中に、いろんな場所があるんだ。と

今日のミサの中でも言われた、
一粒の種は死ねば多くの実を結ぶ~… 
を思い出しながら、

どこに落ちるかわからないけれど

その種は私で、私はどうしたって私でしかありえない んだよなぁ…と感じたのでした。



 

 

 

 


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