一握りの全財産。
ーこの貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、 生活費を全部入れたからである。ー
今日の福音 マルコ12・41-44 やもめの献金 の箇所でした。 この人は、何を思ってこうしたんだろう。 イエスはこの人のしたことを弟子たちに説明するだけで、 この人には何も起こっていないように見えるけれど、
第一朗読の列王記 17・8~ を読むと、なんとなく補完されているように思う。 最後の食料、一握りの粉とわずかな油で、まずエリヤのためのパンを焼き、 その後で自分たちのために作れ、と言われるやもめ。
「壺の粉は尽きることなく 瓶の油はなくならない。」 という神の言葉に信頼して、そのとおりになるのだけれど 少しおもしろいなと思うのは、粉や油がたくさん与えられるのでもなく 使い切るたびに、わずかな粉と油が残っているのかな。と感じられるところ。
手放したこの人にしか、わからない 何かが底のほうに 僅かにあるのに気づくだろう。
毎日、いやその瞬間毎に賽銭箱の前に立っているみたいなものだな、と。
一握りの粉、握りしめた手のひらのたった2枚の銅貨。 それが私の全財産。
第二朗読ヘブライ人への手紙では、 私たちのために御自身を献げられたイエズスの姿が思い起こされます。
イエズスに倣う生き方とはどんなものなのか、 いつも教えて頂けるように、賽銭箱の前に、神さまの前に立って 祈ることができますように。