トゲトゲだって いんじゃない。

2020年10月03日

気持ちのいい空気に誘われて、お庭をくるりとひと巡り。                  夏の間に朝顔に覆われつくしたキウイの棚、まだ真緑なみかんが今年も沢山!         その流れで、うち柚子の木あったよね~あんまり実はつかないんだよね~、と覗いていて    フと今まで目に入っていなかったモノに気づいて驚愕しました。               え、これってトゲ? ⇩の写真、見えるでしょうか

いやいや柚子にトゲあるとは聞いてたけど、イメージ違う。(笑)              5㎝以上ありそうだし、トゲというより もはや釘のレベルでは;              ええーと思いながらよく見ていると、このスゴイのはまだ新しい、細い枝にいっぱいあるみたい…そうかーまだ新しい、やわらかいのを守るため、なのかな~と。

なんだかおもしろくて、みどりの細い枝には長くて鋭いトゲがいっぱい、           見ただけで手ひっこめてしまう感じで、幹には無さそうだなーと見ていると          目立たないけれど、もっと固くて痛そうなのが ちらほらある・・・             なんとなくね、見ててこのトゲとか 木が進化していく中で                 なんにもなければ無かったのかな、と思う。                        何かあったから、必要だったから、あるんだよね。

人もおんなじみたい。                                  でも思うんですよ、べつに傷つけたいわけじゃないんです。というか本当は          それがあるってことに気付かれないでいたいじゃない?

そんなことを思いつつ、聖書でトゲといえばひとつしか思い浮かばないんですが、       使徒パウロに与えられたトゲですね。(2コリント12・7-10)               書きながら思ったのですが、「与えられた」んですね、                   案外トゲに傷付いてるのは、その人自身なのかもしれない…                 このトゲは私の弱さのしるしみたいな、私の弱さから生えてきたみたいに思うけれど、     与えられたんなら、もう否定して傷付かなくっていいんじゃないかなー、なんて。       それも私、なんだから、必要なんだと思ってもいいんじゃないかと。             パウロへの主からのこたえを思いめぐらして、信じてゆけたらと思う。

「わたしの恵みはあなたに十分である。                                 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」

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