トゲトゲだって いんじゃない。
気持ちのいい空気に誘われて、お庭をくるりとひと巡り。 夏の間に朝顔に覆われつくしたキウイの棚、まだ真緑なみかんが今年も沢山! その流れで、うち柚子の木あったよね~あんまり実はつかないんだよね~、と覗いていて フと今まで目に入っていなかったモノに気づいて驚愕しました。 え、これってトゲ? ⇩の写真、見えるでしょうか
いやいや柚子にトゲあるとは聞いてたけど、イメージ違う。(笑) 5㎝以上ありそうだし、トゲというより もはや釘のレベルでは; ええーと思いながらよく見ていると、このスゴイのはまだ新しい、細い枝にいっぱいあるみたい…そうかーまだ新しい、やわらかいのを守るため、なのかな~と。
なんだかおもしろくて、みどりの細い枝には長くて鋭いトゲがいっぱい、 見ただけで手ひっこめてしまう感じで、幹には無さそうだなーと見ていると 目立たないけれど、もっと固くて痛そうなのが ちらほらある・・・ なんとなくね、見ててこのトゲとか 木が進化していく中で なんにもなければ無かったのかな、と思う。 何かあったから、必要だったから、あるんだよね。
人もおんなじみたい。 でも思うんですよ、べつに傷つけたいわけじゃないんです。というか本当は それがあるってことに気付かれないでいたいじゃない?
そんなことを思いつつ、聖書でトゲといえばひとつしか思い浮かばないんですが、 使徒パウロに与えられたトゲですね。(2コリント12・7-10) 書きながら思ったのですが、「与えられた」んですね、 案外トゲに傷付いてるのは、その人自身なのかもしれない… このトゲは私の弱さのしるしみたいな、私の弱さから生えてきたみたいに思うけれど、 与えられたんなら、もう否定して傷付かなくっていいんじゃないかなー、なんて。 それも私、なんだから、必要なんだと思ってもいいんじゃないかと。 パウロへの主からのこたえを思いめぐらして、信じてゆけたらと思う。
「わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」