イーストは生きている!

何日か前の福音箇所で、からし種とパン種のたとえありました。
天の国はパン種に似ている。 女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。(マタイ13・33)
ちょっとパン種のほうに注目していますが、 前に読んだ本で、そういえば好きなところがあったような… と思って探したら、奇跡的にすぐ見つけることができました! こうゆう時ってうれしいですよね~
宝は各人のなかに隠されています。 神の国は わたし という存在の練り粉に含まれるべきイースト菌です。 それを器にしっかり閉じ込めて意識という棚に乗せたままにしておくのか、 あるいはそのイースト菌を日常のごたごたした出来事に練りこむのか、のいずれかです。
後者であればイースト菌の発酵により、日常は変容し始めます。 各人のなかで いつまでも続く変化が幕を開けるか、 あるいはまったくなにごとも起きないのかのどちらかとなります。
「日常のごたごた」とかすきだなぁ(笑) せっかく手に入れたもの、キレイなもの、使うのもったいないなーと思うこと、よくあります。 なんだかそんな良いものを、ごたごたのなかに一緒にしてしまっていいものか、とか。 でもそうやって大切に飾っていると、大抵そのうちホコリをかぶって忘れちゃうんですよね。。。
それを持っている。と満足していたいのか、 きっと見えなくなってしまうけれど、それを日常に混ぜ込むのか。 イーストって菌なんですよね。 生きている、いのち が私の生活 日常に入ってくる。
イーストは粉のなかで、栄養になるものを食べてゆっくりゆっくり、変えてゆきます。 爆発的に膨らんだりしません。 たくさん入れて発酵させても美味しくありません。 どんなに簡単にできるようになっても、パン作りには時間がかかるものなのです。