イエスの みこころ から

この前の日曜日、ご聖体の祭日から続いて 今日は イエスの みこころの祭日でした。
そのご聖体の祭日の頃に、何で見たのだったか、、 “ 聖体はイエスの みこころから湧き出たもの ” (あふれ出た、とかそんな感じだったかも;) という言葉がずっと心に残っていて…
今日の祈願を聞いたとき、とても響いた気がします。
ー 聖なる父よ、あなたは、人類の罪のために刺し貫かれた 御子の み心のうちに、限りない いつくしみの泉を開いてくださいました。 わたしたちが、心からの奉献によって キリストの愛に こたえることができますように ー
ヨハネ福音書では、ご聖体の制定の場面のかわりに イエスが弟子たちの足を洗う場面がありますが、 その最初には、こう書かれています。
イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、 世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
それから、エマオへ向かう弟子たち、離れてゆく弟子たちに現れ、 食卓でイエスがパンを さいたとき、見えなくなったこと、 弟子たちの心が再び燃え上がっていることに 気づいたこと と、いろいろ思い出されていきました…
ご聖体とは何なのか、いただくとき 何が起こっているのか、 その中に なにがあるのか
私の心は燃えているか? 燃えているなら それはなぜか
燃えていないなら それはなぜか